根本陸夫伝/高橋安幸

 

根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男

根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男

 

 

 選手や監督としては特筆すべき実績はないのですが、「球界のフィクサー」として知られ、広島、西武、ダイエーの黄金期の礎を作ったことで知られる根本さんの評伝を、根本さんに縁の深かった20人へのインタビューで綴ります。

 根本さんはスカウト経験もあり、人とのつながりを非常に重視したということで、多くの選手から「オヤジ」として慕われていたわけですが、その「人脈」を自身が監督として成功するよりも、より強いチームを作るために「勝てる」監督を招聘するための地ならしをすることに心血を注がれていたようです。

 「最後の仕事」と言われるダイエーホークスへの王監督の招聘について、今やダイエーから球団を受け継いだソフトバンク球団の会長である王さん自身が語られるのですが、当初要請を受ける気のなかった王さんが、根本さんの球界全体の活性化に向けた熱意に押されて就任を受け入れるに至った過程を語られるのが印象的です。

 概ね根本さんの「シンパ」へのインタビューで構成されているのですが、根本さんの「義理・人情」的なところとは対極的なところにありながら、根本人脈として監督に就任し、西武に黄金期をもたらした広岡さんや森さんのインタビューがあったら、もっと深みが出たんじゃないかと思うのですが…

 

LIFE SHIFT/リンダ・グラットン/アンドリュー・スコット

 

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

 

 

 『ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉』が大きな話題となったリンダ・グラットンさんの著書で、今回は「人生の再設計」がテーマとなります。

 従来、長きに渡り人生70年と言うことでほとんどの人たちが「学び→労働→引退」という3ステージの人生を送って来られたワケですが、平均寿命が延びて100年に及ぶことが現実となることが大きな社会的変革のトリガーとなることを指摘されています。

 100年生きるとなると60歳でリタイアしてあと40年の引退生活を送ることになるワケですが、昨今健康寿命も延びて、60歳代だと肉体的にリタイアするのはモッタイないということもありますし、60歳までに40年の引退生活を送るための蓄えを確保することが難しいこと、年金などの社会的保障も、高齢化の進展によって難しくなることから、従来より長く働くことへの誘因が働きます。

 ただここ10年でも大きく労働環境が変化したように、働くためのスキルの「賞味期限」も短くなっており、従来のように最初の20年で身に付けたスキルを一生使い続けるということは難しくなり、何度かキャリアを出入りする「マルチ・ステージ」の人生を送ることを提唱されています。

 そうすることで労働寿命を延ばすとともに、パートナーとのローテーションなど、より柔軟にライフステージに対応した働き方ができるということですし、公的年金への依存も減っていくということで、是非とも真剣にこういう方向での制度改革に取組んでもらいたいものです。

 

給料が増えて会社もうるおうボロ儲け経営術/大村大次郎

 

 

 元国税調査官の大村さんによる中小企業向けの経営指南本です。

 大村さんの本って、こういうブラックなイメージを想起させるタイトルが多いのですが、この本は別にアコギな節税をススメるワケではなく、どっちかと言うと、かなりまっとうな税理士さんが、知っているだけで確実に会社のトクになる情報を紹介しているような印象を受けます。

 元々中小企業診断士を目指していたワタクシにとっては懐かしい中小企業支援施策が多く紹介されているのですが、資格があるにもかかわらずこういう施策を活用されている経営者の方は少ないようで、これは使わないとソンですよね!?

 お得意の節税策の紹介もあるのですが、一番役に立つと思ったのが税理士さんの選び方で、実務面に長けた試験合格組の税理士と調査官対応のための国税OBの税理士の使い分けのススメなど、非常に参考になります。

 また調査官対応として、やたらと調査官にタテつくと、意地になってイタクもないハラを探られかねないということで、敵対するのは得策ではないと同時に、やたらと低姿勢になるとそれはそれで付け込まれる可能性が高いということで、言うべきことは言いながらも、素直な対応が長い目でトクになるということです。

 

1998年の宇多田ヒカル/宇野維正

 

1998年の宇多田ヒカル (新潮新書)

1998年の宇多田ヒカル (新潮新書)

 

 

 元々『ロッキン・オン』誌におられた音楽ライターの方が書かれた日本の音楽シーンに関する本です。

 タイトルでは宇多田ヒカルが前面になっていますが、同年にデビューした椎名林檎aiko浜崎あゆみを中心に1998年前後の日本の音楽シーンを語られるワケですが、1998年というのは史上最もCDが売れた年だということで、音楽配信が中心となっていったその後の推移を考えると、きっと二度と破られることのない記録を残した年であるとともに、この3人+1がその後の音楽シーンに与えたインパクトからしてエポックメイキング的なところがあったということで、取り上げられているようです。

 個人的には4人ともあまり熱心に聴いたワケではないのですが、洋楽を中心に聴いていた著者の周辺のライターの間で、デビュー当初の3人が話題となったようで、宇多田ヒカルマイケル・ジャクソン椎名林檎をプリンス、aikoジョージ・マイケルになぞらえる向きもあったということで、アイドル中心だった日本の音楽シーンに、アーティスティックな色彩の濃い彼女らがトップに躍り出た当時を懐かしんでおられるようです。

 この本は、昨年久々にリリースされた宇多田ヒカルのアルバム制作が始まった当初に書かれたようで、当時のようなシーン活性の起爆剤になることを期待して締められていますが、確かに大きな話題にはなったものの、シーンを揺るがすようなインパクトは無く、このまま日本の音楽シーンはジリ貧なのかな、と…

 

キャリアポルノは人生の無駄だ/谷本真由美

 

キャリアポルノは人生の無駄だ (朝日新書)

キャリアポルノは人生の無駄だ (朝日新書)

 

 

 @May_RomaというTwitterアカウントで多くのフォロワーを持つ方の著書です。

 “キャリアポルノ”というのは、“フードポルノ”から連想した著者の造語なんですが、要は「自己啓発本」のことです。

 「自己啓発本は努力をするのはイヤだけど、成功したいという人が読むものだ」的な挑発的なコメントに、自己啓発本を中心としたこういうブログを運営しているワタクシとしてはカチンとくる部分はあるのですが、ただ単に「自己啓発本依存症」の人をディスるのではなく、もうちょっと深い意味合いがあるようです。

 実は自己啓発本が売れるのは日本とアメリカが中心だということで、ヨーロッパでは見向きもされないようです。

 というのも、ヨーロッパでは仕事以外に自分の価値観を見出す人が多く、ガツガツとキャリアを追い求めることについてネガティブな印象を持つこと人が多いからだそうです。

 日本では「自己実現」というとすぐに「仕事」と結び付けて考えてしまいますが、ヨーロッパの人たちのように、確固たる自己があれば、そういうことにはならないんじゃない!?と問いかけられています。

 モチロン、心底仕事での自己実現を望んでいる人が、その道を突き進むことは素晴らしいことであるのですが、昨今の風潮に流されて「キャリアアップ=自己実現」と思わされていないか、ということを自分に問い直すことが必要なんじゃないか、ということを考えされられます。

 

 

英語の害毒/永井忠孝

 

英語の害毒 (新潮新書)

英語の害毒 (新潮新書)

 

 

 エスキモー語が専門だという言語学者の人が書いたアンチ英語論です。

 この本では昨今のやたらと会話英語、それもアメリカ英語ばかりがやたらともてはやされることについて、そもそもこういうアメリカ英語の隆盛は、アメリカの遅配的地位を前提として成り立っているモノであり、中国が台頭してきている今、その有効性を懐疑的に見た方がいいんじゃないかということと、英語公用語論なんて植民地支配を受け入れるようなモノたという、一見極論的なことをおっしゃいます。

 されには会話中心の学習を押し進めることにより、英語も日本語も中途半端な“セミリンガル”状態の子供を量産することを危惧されており、実際に帰国子女がそういう状態に陥っていることを紹介されています。

 で、どういうことをこの人が推奨されているのかというと、選択制で複数の外国語を学ぶことなんですが、最後の10数ページでコンセプトだけをサラッと紹介されているだけなんで、そのことが言語習得においてどういうメリットがあるのかなど、アメリカ英語をディスるのにやたらと紙幅を割くより、そっちの方を詳しく知りたかった気がします…実は、その提唱に中身がないからこういう構成なんですかね?

 

なぜ日本の「ご飯」は美味しいのか/シンシアリー

 

なぜ日本の「ご飯」は美味しいのか (扶桑社新書)

なぜ日本の「ご飯」は美味しいのか (扶桑社新書)

 

 

 『○韓論』シリーズで、韓国人の反日感情を紹介してきた韓国人ブロガーのシンシアリーさんが、今回はちょっと趣を変えて、日本と韓国の比較文化論的なお話をされます。

 シンシアリーさんがご自身の姉と姪とともに日本を旅行する過程で思い起こす韓国との違いを語るといったカタチを取られているのですが、かなりキビシく自身の祖国を糾弾します。

 なぜ韓国人が「反日」でありながら日本に憧れを抱くのかということなのですが、韓国では自身が“強さ”を見せておかないと相手に“下”に見られてしまうということで、常に相手の“上”を行こうとする争いで殺伐としてしまっているのに対し、日本では相互に尊重し合うことでお互いをより高め合っているという姿をみて、そうありたいと思うのかな、とおっしゃっているように感じます。

 日本人であるワタクシからすると随分買い被ってるなぁ…と思わなくもないのですが、頻繁に日本を訪問されていて、ある程度イヤな思いもされているでしょうけど、それでもそう思われるということはある程度の真実性があるんでしょう…

 でも、そういう殺伐とした日常がホントなんだとしたら、やっぱりキビシイですよね…