明治維新という過ち/原田伊織

 

 

 “アンチ薩長史観”本が続きます。

 “アンチ薩長史観”本に共通して流れているのが“新政府”側というのはあまり品のよろしくない人たちがかなりムチャなことをやった結果“明治維新”が成立し、有体のままに後世に伝わったんじゃマズイということで美化するために“旧幕府”側の抵抗…みたいなことを書かれているワケですが、これまた共通しているのが著者自身の個人的な感情が割と前に出てきているところなんでしょうか…

 実は鳥羽伏見の戦いの際に徳川慶喜が戦意喪失した原因となる“討幕の密勅”というのは実は、大久保と岩倉が企んで“偽造”したもので、その証拠が未だに残ってるとか…当時の知識階級であれば、想像すらできないような“蛮行”のようですが、そういうことを平気でできてしまうところが、教養の無さに起因すると指摘されています。

 あと吉田松陰を始めとする長州の“志士”たちは単なるテロリスト集団であると断じておられて、確かにやっていることはテロそのもので、言われてみればそうなんですが、今までそう感じさせなかったところが、薩長のイメージ戦略の巧みさなのでしょうか…

 テロリストと言えば廃仏毀釈なんて、正にタリバンやISがやっていることと変わらないですよね…

 前に紹介した『明治維新という幻想』では、慶喜を血祭りにあげようとした代わりに、とありましたが、この本では会津戦争は単なる長州の私怨を晴らそうとするものに過ぎないということで、とても聞くに堪えない所業を紹介されます。

 といったカタチで“薩長史観”に隠された「真実」が次々と明らかにされるワケですが、400ページ近くに渡り単なる不平老人のグチを聞いているようで、非常に読みにくかったというのが正直なところです。

 もうちょっと抑えたトーンで知的好奇心をくすぐるようなアプローチができなかったんですかね…その方が、ずっと共感を得られたのに…

 

「あなた」という商品を高く売る方法/永井孝尚

 

 

 わかりやすいマーケティング関連の著作でヒットを飛ばし続ける永井さんによる“セルフブランディング”関連の本です。

 永井さん自身、日本IBMでの勤務を経て、サラリーマン時代に出版した『100円のコーラを1000円で売る方法』がヒットしたことでマーケッターとして独立されたということですが、IBM時代はかなり仕事の選り好みをされていて“変わり者”として知られていたということです。

 でも今後AIに仕事を奪われるかもしれないという危機感の下、仕事がキレないように続けていこうと思えば、何らかのカタチで“選ばれ続ける”何かを持っていないといけないようです。

 そのためには「競争せずに勝つ」ための何かが必要で、少し前に言われた“ブルーオーシャン”にポジショニングすることが肝要なようです。

 さらに「競争せずに勝つ」ためには「誰もやっていない、好きなことをする」ことが近道になるようで、そういう意味では“好き”を突き詰められる、ある意味の“KY”や“強さ”が必要なのかもしれません。

 ただ一度そういう独自性を身に付けたからと言って、それで一生安泰というワケではなく常に“独自性”のポジショニングをも刷し続けなければいつか埋没してしまうということで、難儀な世の中になったモノです…

 

失敗の本質/戸部良一、鎌田伸一、村井友秀、寺本義也、杉之孝生、野中郁次郎

 

失敗の本質―日本軍の組織論的研究

失敗の本質―日本軍の組織論的研究

 

 

 防衛大学の教授陣の有志の研究会から生まれて、“失敗”研究の草分けともいえる本です。

 “失敗”の題材として「大東亜戦争」を取り上げておられて、対米戦争の中の5つの戦闘ととノモンハン事件を取り上げて、戦闘それ自体の“失敗”について論じるのではなくて、日本軍の組織としての問題点に起因する“失敗”の本質的なところを掘り下げえて見つけていこうということがテーマになっています。

 半藤さんの『昭和史』なんかでも断片的に取り上げられていましたが、こうやって体系的にその失敗の本質的な原因を見ていくと、それはそれでバカバカしくて、やっぱりムカムカしてきます。

 最近の企業倒産などの事例でも言われますが、日本軍やそういった例に漏れず、失敗に対する反省というかフィードバックのできない組織である一方、成功体験には盲目的にすがろうとするところがあり、それが故に冷静な分析を欠いてしまうという、軍隊としては致命的な“欠け”につながってしまうということです。

 物量だけでも勝てないアメリカなんですが、モノの考え方にしても日本とは対照的にリアリズムに徹した戦いができるこんな相手に元から勝てるワケがなかったんですよね…って、そういう組織だからアメリカと戦争をしたってか!?

 

明治維新という幻想/森田健司

 

明治維新という幻想 (歴史新書y)

明治維新という幻想 (歴史新書y)

 

 

 先日半藤一利が“勝者”である明治政府側から見た“薩長史観”に疑問を呈した『もう一つの「幕末史」: “裏側”にこそ「本当の歴史」がある! (単行本)』を紹介しましたが、ここの所、そういう“薩長史観”への疑問をテーマにした本が立て続けに出版されているということで、その中の1冊を手に取ってみました。

 今でこそ旧幕府側に立った歴史書もある程度は存在していますが、明治政府はかなり意識的に美化をした部分は否めないようで半藤さんもおっしゃっていましたが“維新”なんてキレイごとでは済まない暴虐があったようです。

 この本の著者である森田さんは社会思想史の専門家で、幕末から新政府への移行期に庶民の間で広がった風刺の錦絵を取り上げられているのですが、所謂新政府は相当人気がなかったみたいですね。

 ひたすら恭順の意志を示している“最後の将軍”慶喜に対して、とにかく革命の血祭にあげたい一心で“罪人”にしようとしたことや、慶喜の徹底した恭順で、振り上げたコブシの行き場を失った挙句、会津を代わりに血祭りにあげたことなど、元々学もあったもんじゃない下級武士を中心としていたであろう新政府軍らしい“品のない”暴虐の限りを尽くしたことを挙げられます。

 まあ、革命ってそういう“血”を求める部分はあるんでしょうけど、何かそういう歪が第二次世界大戦時に揺り戻しとして出てきてしまったんですかねぇ…

 

「カタリバ」という授業/上原徹

 

「カタリバ」という授業――社会起業家と学生が生み出す “つながりづくり”の場としくみ

「カタリバ」という授業――社会起業家と学生が生み出す “つながりづくり”の場としくみ

 

 

 「カタリバ」という、高校生が大学生と語り合う場を提供するNPOの活動が軌道に乗るまでの軌跡を紹介した本です。

 統計によると、日本の大学生・高校生は先進国の中で群を抜いて自己肯定感が低いと言われていて、オトナたちは無気力だ、などと悲観しますが、そういう自己肯定感の低さはオトナたちが作り出した社会の閉塞感に起因するものであるはずなんですが…

 この「カタリバ」を提供しようとしたNPO法人代表の今村さんは、高校生や大学生の「無気力感」というのは何かをキッカケにして払拭されることが多く、特に高校生にとっては一歩先を歩いている大学生の経験や考えを聞くことで大きな刺激をうけることになると考え、「カタリバ」の立ち上げを志したということです。

 大学生にとっても、自分が語ったコトバで、明らかに高校生たちの目に光が宿ることを目の当たりにすることで、自分も何らかの役に立てるという実感を持つことで「無気力感」を払拭できるという効用があるようです。

 民間出身初の都立中学校長として知られる藤原和博さんが、中学生・高校生にとって、直接利害関係のある親や先生といった“タテ”の関係ではなく、身近なお兄さん・お姉さんという“ナナメの関係”がもたらす効用の高さを指摘されていましたが、「カタリバ」でもそういう“ナナメの関係”だからこそできることを遺憾なく発揮しているんだと思われます。

 こういう活動が広まって、若い人たちが少しでも元気になればいいなぁ…

 

8割捨てる!情報術/理央周

 

8割捨てる! 情報術

8割捨てる! 情報術

 

 

 マーケティングの専門家の方が語る情報の活用術に関する本です。

 IT化が進んだ現在では1日で江戸時代の人の一生分の新たな情報に触れるとも言われていますが、何もかも咀嚼しようとすれば、それだけでもすべてをその対応に費やしたとしても追い付かないことでしょう…

 だからと言って、情報無くしては仕事もマトモに進めていけないということで、取捨選択をした上での情報活用が望まれます。

 タイトルの「8割」っていうのは「パレートの法則」から来ているということで、8割の成果は2割の要素から来ているというのは情報についても同じで、如何にその2割を取り出すかということが重要になってきます。

 それには自分が成果を出すにあたってどういった情報が必要かということを常に意識していくことが重要なのですが、この本で取り上げられていることで新鮮だったのが、4象限の軸で、その情報が必要なのか否かというのは分かるのですが、もう一つの軸として「好き嫌い」というのを提唱されていて、そういうマトリックスで考えると「必要なんだけど嫌い」という証言の情報を蔑ろにしがちなんで、意識して集める必要があるということでした。

 それにしても理央さんも留学経験者ということで、特にアメリカの大学に行かれていた方は、大量のインプットを強いられるということで、そういう効率的なコトの進め方が上手になって行くんでしょうね…日本もそうしたらいいのに…

 

富士山1周レースができるまで/鏑木毅、福田六花

 

 

 世界的なトレイルランナーの鏑木さんが富士山を1周する100マイルのトレイルレースを着想してから実現にこぎつけるまでを紹介した本です。

 世界のトップクラスのトレイルランナーが参戦するレースというとモンブランでのUTMBなどの100マイルレースなんですが、2010年前後の頃、まだ日本ではあまりトレイルランニングが普及していなかった日本では100マイルレースは存在していなくて、何とか日本でトレイルランニングを普及させたいと思っていた鏑木さんが飛行機の上から富士山の稜線を眺めていて「ここだ!」と閃いたことからコトは始まったということです。

 医師でありながらセミプロのトレイルランナーでもありミュージシャンでもあるというマルチな活動をどれもハイレベルでこなす福田さんとともに富士山1周100マイルレースであるUTMFを立ち上げていくプロセスを追うのですが、以前このブログで紹介した東京マラソンの立ち上げを追った本でも、相当な紆余曲折があったということでしたが、こちらもまた東京マラソンとは異なる難題が山積で、スタッフもそれほど多く確保できない中、何とか日本でトレイルランニングを根付かせたいという一念でレースの実現へと突き進みます。

 そもそも平地でのマラソンと違って、道らしい道がなかったり、あったとしても誰が管理をしているか明確でなかったり、環境団体からのクレームがあったりと、想像を絶する困難が目白押しで、さらには第一回大会に向けて準備を進めていた2011年に東日本大震災に見舞われて中止を余儀なくされるなど、これでもか!?という困難を乗り越えて2012年の第一回大会の開催にこぎつけます。

 その後、2017年は処々の事情で開催が見送られたということですが、これまで5回の大会を開催し、2018年大会に向けての準備が進むなど順調に世界有数のトレイルレースとして成長を遂げたUTMFですが、いつか出てみたいなぁ、と思いつつさすがにキビシいかな…