なでしこジャパンはなぜ世界一になれたのか?/平田竹男

 

なでしこジャパンはなぜ世界一になれたのか?

なでしこジャパンはなぜ世界一になれたのか?

 

 

 先日、桑田真澄さんとの共著を紹介しましたが、今回は平田さんの、日本サッカー協会におけるなでしこジャパンの支援を紹介されます。

 2011年W杯に優勝した時には、既に日本サッカー協会の職は辞されていたわけですが、「なでしこジャパン」の愛称を制定した際には、平田さんも支援のプロジェクトに関っておられたということです。

 どうしても余程サッカー、特に女子サッカーにに関心のある人を除けば、2011年の優勝には唐突感があると思うのですが、その前の2008年の北京五輪ではベスト4まで勝ち上がっているわけです。

 その強化のターニングポイントになったのが、2004年のアテネ五輪の出場のようで、予選では十八番の交渉術を駆使して、予選を誘致するところから始まり、日本が有利に勝ち進めることができるようなスケジュール調整など、可能な限りの手を尽くして、結果出場権を勝ち取ります。

 アテネの本大会ではグループリーグで敗退するのですが、その経験がその後の成果のベースとなったのは間違いないでしょう。

 平田さんが教会を去られた後も、脈々と強化の施策が続けられ、2011年W杯での結実となるわけですが、そこまでやるのか!?と驚嘆するほどの徹底ぶりです。