平成批評/福田和也

 

 

 文系評論家の福田さんが平成の世を振り返られます。

 平成の世を通して日本人と日本の国家は「幼稚化」したと指摘されます。

 耳が痛い所ですが、政界などを見てもカラダを張って何かを守り抜こうといった姿勢を持つ政治家はついぞ見なくなりましたし、経済界でも何かセコい話題が多くて、矮小化の流れが止まらないようです。

 そういうところの原因に日本人としての誇りの欠如を指摘されていますが、「日本人の誇り」というのはどうやら昨今の反中・嫌韓の裏返しとしての日本礼賛論ではなさそうで、自身の誇りの延長線上としての民族としての“誇り”みたいなモノを指すようで、結局は自分自身の矮小化を薄々感じながら、その延長線上にある“誇り”なんて感じられないでしょ!?ということでしょうか…

 そういう“誇り”は教育によってこそ生まれるはずだということですが、平成日本の教育はグローバル志向で、“誇り”を養うモノとは真逆の方向に行ってしまっているということもあり、国語教育の質の確保さえも覚束ないようです。

 令和になったからと言って急にこういう流れが反転するワケもなく、ちょっとこういう本でそういう寂しい状況にあることを認識するだけでもちょっとは救いになるんでしょうか!?