補欠廃止論/セルジオ越後

 

(096)補欠廃止論 (ポプラ新書)

(096)補欠廃止論 (ポプラ新書)

 

 

 日本サッカー界のご意見番セルジオ越後さんが提唱する“補欠”廃止論です。

 セルジオさんが来日されて子供たちにサッカーを教え始めた当初、“補欠”なるものを理解できずに困ったそうで、というのも“補欠”というのは日本特有のモノで、欧米や南米でもスポーツはプレーしてナンボであり、試合に出ないのに練習し続けるということが理解しがたいことのようです。

 後にエラくなったビジネスパーソンが、“補欠”体験が人格形成に役立ったといったことを語ることがありますが、セルジオさんによると、日本の団体スポーツはこの補欠制度ゆえに強くなれないとまでおっしゃいます。

 というのも、セルジオさんはこの補欠制度は“忍耐力”は養う代わりに“競争心”を損なってしまう、と指摘されていて、その“競争心”こそがスポーツにおいて重要なんじゃないかとおっしゃっています。

 よく高校時代に全国トップレベルで鳴り物入りでJリーグに入ったモノの、何の活躍をすることもなくサッカー界を去る選手が見られますが、それって実力だけの問題ではなく、レギュラーは奪い取るモノではなく、上級生が引退すれば順番が回ってくるものだと潜在意識が染みついてしまいプロになってもぬぐえなかったことから、スタメンを勝ち取ろうという姿勢ができてこなかったからなんじゃないかということを指摘されています。

 ということで、学校やクラブチームでの複数チーム制や、試合に出れる可能性のない選手への他のスポーツへの転向を勧めるなど、プレーができる環境を志向することをつよく進められています。

 個人的にも“補欠”ってあまりにも当たり前の概念なんで、不思議に思っていなかったのですが、よく考えたら何の成果も生み出さない“ムダ”ですもんね…