歴史をかえた誤訳/鳥飼玖美子

 

歴史をかえた誤訳 (新潮文庫)

歴史をかえた誤訳 (新潮文庫)

 

 

 かつては日本を代表する通訳者として活躍され、英語教育論に関する著書でも知られる鳥飼さんが語られる通訳論です。

 

 あとがきで鳥飼さんは通訳論を書くことが念願だったとおっしゃっていますが、あまり語学と真剣に向き合った経験がなければ、なかなか肌感覚で分かってもらえないところなのですが、コトバというのは100%話者が語った意図を汲み取って、別の人が伝えるというのは母国語であっても困難であって、ましてや文化的な背景の異なる外国語が介在すれば、当然その精度は低下するワケであって、必ずしも”誤訳”とはされないモノなのですが、この本で扱われているのは、翻訳としてあるコトバを選んだが故に重大な歴史の転換点となってしまった事態を中心に、翻訳の難しさや恐ろしさを紹介されています。

 

 冒頭で挙げられているのが、原爆投下を招いたと言われる、ポツダム宣言への日本政府の対応なのですが、「黙殺」という言葉を"ignore"と訳したことによって、アメリカが広島への原爆投下を決意したと言われることで、必ずしもそれだけが原因ではないのかも知れないですが、その言葉によって30万人の命が失われてしまったとも言えるということです。

 

 また「誤訳」は「誤訳」なのですが、外交の場で、お互いがそれぞれの自国民に”いい顔”をしたいが故に、それぞれが自分に都合のよい「翻訳」をするということもあるようで、そのギャップが後々禍根を残すことも少なからずあるということも指摘されています。

 

 当然、通訳者・翻訳者としては、話者の意図をできる限り正確に伝えようと目の前の通訳/翻訳に全力を尽くそうとするはずなのですが、良かれと思って要約したことや、コトバを付け加えたことが、話者の意図からはかけ離れたものとなってしまうこともあり、できる限り”透明”な存在であることが通訳者の役割であるのですが、話者に外国語を介するということへの配慮が無ければ、そのまま伝えても全く相手に伝わらないモノになってしまうということも少なからずあり、その辺りの伝え方の難しさというのが、通訳者・翻訳者の永遠の課題となるワケでしょうし、通訳者・翻訳者がAIに取って代わられるとワケ知り顔で言ってしまう”識者”は、語学のことが分かりませんと告白していると同義であることを、この本を読めば思い知るに違いないことでしょう…