定刻発車/三戸祐子

 

 

 日本の鉄道と言うのは、世界でも群を抜いて正確に運航していると言われていますが、統計の数字上はそこまで群を抜いたモノになっていないそうです。

 

 というのも、諸外国では15分以内の遅延は定時運行として扱われているのに対し、日本では1分でも遅れると遅延として扱うということで、全く土俵が違うということですが、そういう差がありながらも日本が世界一の定時運航率を誇るといいます。

 

 そういう”正確さ”を支えているモノを紹介されているのですが、日本人の潔癖さがもたらすということはよく言われますが、同じく潔癖な国民性だと言われるドイツ人も日本の鉄道を視察されて、とてもマネはできないと呆れたそうで、ドイツでは遅延を5分以内に保つことを目指しているということです。

 

 日本では大正時代に電車が走り始めた頃から、正確性への希求が始まったということですが、大都市圏がほぼすべて電車での運航となった昭和30年代には、基本的なシステムは出来上がっていたといいます。

 

 そのために精神論的なモノを始めとして、時刻表設定の技術的な蓄積、運行システムの整備、線路の保守など、あらゆる要素を有機的に機能させて、2,3分間隔と言う驚異の密度での定時運行を確保しているといいます。

 

 その要素として、ホームでの並び方の工夫や、ひと頃見られた満員電車への乗り込みの剥ぎ取りといった物理的な対応や、それだけの密度がありながらも遅延の発生を想定した弾力的運用が可能な時刻表を設定していたりと、ここまで考えているのか!?と驚異的です。

 

 フツーそこまで精緻にしてしまうと、一旦ダイヤが乱れてしまった時に、雪だるま式に混乱が広がってしまいがちですが、そういう時のための回復の手段も想定されていて、台風や大雪と言った悪天候の時でも、半日くらいの単位で回復可能なように想定されているということです。

 

 そこまでの正確性を求めるのは、日本の国土の狭さで、十分な施設を作るだけの土地の確保が難しかったということもあり、諸外国では施設の拡張に頼りがちだということもあるのですが、涼しい顔をしてそういう綱渡りを淡々と続けられる鉄道マンたちの日々の”偉業”に感謝しないとなぁ、と思い返させられた次第でした。