天災から日本史を読みなおす/磯田道史

 

 

 先日、コロナ禍を受けての『感染症の日本史』の磯田センセイですが、東日本大震災後、3年を経ての2014年に主に震災を受けて、日本史から天災についての教訓を抽出する著書があったので手に取ってみました。

 

 かなり広範な範囲のテーマを手掛ける磯田センセイですが、特に災害史についてはかなり若い頃から関心が強かったということで、お母さまの出身地の徳島県牟岐が度々津波に襲われ、お母さま自身も二歳の時にすんでのところで命を落とす危機に見舞われたということがあるようです。

 

 日本は火山国であり、かつプレートの集積地ということで、太古から度々巨大な自身に見舞われてきたということで、奈良時代以降かなり多くの災害についての記録があるということで、天災が政権に大きな景況を及ぼしてきたことも伺わせます。

 

 特に豊臣政権期について、天下統一後の秀吉の暴走が政権の弱体化の主要因と言われますが、朝鮮出兵直前に2回の巨大な地震に見舞われたことも大きな要因のひとつではないかと指摘されています。

 

 また文献が多くなる江戸時代も度々巨大地震に見舞われており、特に富士山の噴火性地震が繰り返しあったということで、かなり詳細にその様子を紹介されているのと、幕末史への地震の影響について、佐賀藩の対応や、京都を襲った地震についての兆体の対応を紹介されています。

 

 ただ、何よりもこの本で印象的だったのが、災害に見舞われた市井の人々の悲劇で、津波で幼いわが子を奪われたことが繰り返し紹介されていて、その惨禍を窺わせます。

 

 その上で、災害に対しては普段から、こうなったらこうするという方針を予め家族で話し合っておくことの重要性を強調されており、さらには津波の場合、家族それぞれが自身の才覚でここに逃げることが助かる確率を高めるという教訓を紹介されているのが印象的です。

 

 やはり個別の経験の積み上げというのは重厚なモノで、昨日、文献を否定してペラッペラな空論を垂れ流す歴史家のどうでもいい話を読んだが故に、その重要性がより際立って感じられ、そういう意味では昨日の本を読んだ時間もムダではなかったのかもしれません…(笑)