文系と理系はなぜ分かれたのか/隠岐さや香

 

 

 科学史の研究家の方が、日本において文系と理系が分かれたワケを追及された内容の本です。

 

 ”知の怪人”佐藤優さんが、教育について書かれた本の中で再三、日本の高校~大学教育において、理系と文系が鮮明に区分されて、特に文系の学生が、経済学や統計学の専門を志す学生であっても、全くと言って数学の素養が無いことのデメリットや、グローバルビジネスの場で数学的な発想ができないことが、そもそもその場にいる資格すら怪しくなってしまうということをを指摘されていて、昨今は産業界でも卒業生に文系・理系の垣根を超えた能力を求めることも多くなっているようです。

 

 元々、グローバルスタンダードの大本である西欧では、ほとんどの学問は哲学を起源とするものであり、そこから必要に応じて専門的な研究が進化して行ったということもあり、便宜的には自然科学系と人文社会系というフワッとした切り分けはあるようですが、日本のように入試科目から何からして区別するというモノではなさそうです。

 

 で、このタイトルの答えとしては、端的に明治政府の官僚制度が大きな影響を及ぼしたようで、殖産興業や土木公共事業に携わる技官と行政において法務に携わる文官を分けて募集したのが発端の様で、それぞれを目指す教育がそれぞれ理系・文系に特化して行ったからのようです。

 

  モチロン、行政や産業・教育が複雑化して行く中で、それぞれの専門性を深めていくという意味で、分化が進んで行く意味があったワケですが、複雑さがあまりにも行き過ぎた結果、誰も全体を理解できる人がいなくなってしまい、統合というか俯瞰というか、全体を統括する意味で、そういう垣根を超えた理解ができる人が養成されるようになってきたということのようです。

 

 特にAIの進展により、普段の生活にもテクノロジーが入り込んできて、あらゆる場面で理系的なセンスと文系的なセンスが求められるようにすらなってきており、個別の場面でそういう対応ができるボーダーレスな学問的素養…学際化というそうですが…が求められるようになってきており、以前紹介した『「地方国立大学」の時代』で触れられていた広島大学における取組のような事例が出てきているのには、そういう側面もあるようです。

 

 とっくの昔に受験も終わって、自分は早くに数学を捨てたのに、これからは文系にも数学が必要だ!なんて言っているとバレたら、ド文系の次女に怒られそうですが、段々とそういう世の中になって行くのかも知れません…