吉田松陰と久坂玄瑞/河合敦

 

 

 河合センセイが教育者としての吉田松陰を語られた本です。

 

 冒頭で、もし誰かひとり歴史上の人物に会える機会が得られるのであれば、河合センセイは迷わず吉田松陰を選ぶとおっしゃっておられます。

 

 ご自身も教育者として吉田松陰の教育者としての姿勢に共鳴する所が多いようで、特に自身に師事してきた人たちの才能を見出し、それを十全に引き出そうとする姿勢に共鳴するところがあるようです。

 

 2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』で吉田松陰の萩での日々を詳しく描かれていましたが、自身が獄につながれていた際に、獄中での同僚(!?)の才を見出し、師事したように、その社会的な立場を顧みることなくプレーンにその人の才能を見出す資質があったようで、松下村塾でも百姓階級のみならず、中にはゴロツキに近いような人もいたようですが、そういう人にも偏見を持たずに隠れた才能を見出し、その才能を十全に引き出すように促したが故に、後に維新の巨魁を多く生み出すことになったということを指摘されています。

 

 そんな中でも最もその才を愛され、妹が嫁ぐことになった久坂玄瑞を並べて言及されていますが、おそらくご自身と似た直情的な資質も含めて愛されていた部分があるように思われ、池田屋事件で非業の死を遂げた高弟・吉田稔麿も同様ですが、松陰とよく似た、純粋に自身の志に殉じるような姿勢を好んだように思われ、どちらかというと現実的な対応をするように思われる山県有朋伊藤博文といった、後に名を成す人たちをあまり買っていないようにも思えます。

 

 そういう松陰の教育に携わるスタンスとして河合センセイは「至誠」というものを挙げておられて、純粋に何かに向かう姿勢を伝えたからこそ、多くの塾生たちが自身の信じる道をまっすぐに進んで行けたのかも知れません。