ペルソナ/中野信子

 

 

 この本の帯にある通り、美貌の脳科学者・中野信子さんの自伝的な著書だということなのですが、確かにご自身のことを語られてはいるものの、どちらかというとご自身の経歴というか、ご自身に起こったことよりも、その時々の心象風景の脳科学的な考察みたいなモノに重点を置かれているので、週刊誌的な興味で手に取る向きにはよくわからないモノなんじゃないかと思えますが、そういう誰にもあるような心の揺れみたいなモノを題材にして、そういう心象風景をもたらす脳の働きを語られているので、単なるバイオグラフよりも相当有意義で普遍性の高いものになっているのではないかと思われます。

 

 中野さん自身、樹木希林さんのお嬢様である内田也哉子さんとの対談本である『なんで家族を続けるの?』で自らのダメっぷりをセキララに語られていましたが、特にフランスに留学するまではコミュニケーション能力に相当な問題を抱えておられたことをこの本でも告白しておられていて、小中学生の頃はかなり優秀だったようですが、当時のご自身のことを「マッドサイエンティスト」と例えておられるように、かなり浮いた存在であったとのことで、そういう子どもをムリに矯正することの弊害は、中野さんの昨今の活躍ぶりを見るというまでもないことで、個性を重視するといいながら無意識的に生徒たちを一定の枠に嵌めてしまいがちな日本の教育の暗部を窺わせます。

 

 また、東大に進んだ際に、当時はまだあまり最高学歴に進む女性が多くなかったこともあって、どちらかというと最高学歴の女性よりも短大に進む女性がもてはやされていたことを記憶していますが、東大の同級生があからさまに女性である中野さんを目の前にして、自らをしのぐような才能を持った女性をディスるようなことを言っていたというエピソードを紹介されていて、女性であることの不条理を語られていますが、それがある程度状況の改善はあるかも知れませんが、そういう年代の人たちが指導層になっていることを考えると、本質的なところは全く変わっていないんじゃないかということを窺わせます。

 

 さらには、研究者となったのちの女性研究者としての生きにくさについても語られており、特に中野さんの程の美貌を持ちながら、コミュニケーション能力に問題を抱える研究者は相当な苦労を強いられたであろうことを、あからさまにボヤかないながらもにじみ出るように訴えられていて、こういう表ざたになれば、今ならセクハラとして告発されても不思議なことでは無いことが、おそらく未だに公然の秘密として脈々と続いているであろうことが、日本のアカデミズムの後進性を示しているような気がして悲しくなります。

 

 あまり主なスジに関係は少ないのですが、個人的に強い共感を覚えたのが156ページに記されている「東京は、一人でいるのに向いている都市だ。~これほどインフラが整っていて、清潔で、一人でいることを許してくれるような冷たくて肝要な土地は他にないのではないか。」とおっしゃっておられるところで、ワタクシ自身も単身赴任時代、東京のそういう側面に救われたのではないかと、改めて思い返させられます。

 

 何にせよ、中野さんのような才能に溢れた女性がなかなか才能を十全に発揮するような環境にないことは、明らかに日本にとって損失であり、こういう状況を克服することが国益に資するのではないかと思うのですが、男性すべてがミョーなプライドをかなぐり捨てて、全体の公共のために女性が才能を発揮できる世の中を創っていきたいところです。