攘夷の幕末史/町田明広

 

 

 「日本近現代史における対外認識論」を研究されている方が"攘夷”の実行といった観点から見た幕末史を紹介された本です。

 

 明治維新において、”攘夷”が大きな原動力となったのは多くの日本人にとって周知のことで、何か新しいモノが出てくるのかな!?というギモンはありましたが、実は意外と攘夷を正面から扱った幕末史の研究って見当たらないようで、なかなか意外な発見がありました。

 

 幕末の政争の構図というと、尊王攘夷vs公武合体といったカタチで描かれがちなのですが、丹念に幕末史を見て見ると実際にこういう構図というのは無いようで、尊王にしろ攘夷にしろ、公武合体にしろ、力点の濃淡はあれ当時の多くの日本人にとっていずれも、いわば”常識”と言えるコンセプトで、そういうイデオロギー的な対立ではなく、後付け的な考え方のようです。

 

 それに対して著者である町田さんは「大攘夷」「小攘夷」という対立軸を提示されて幕末史の展開を語られています。

 

 「攘夷」というのは、当時の日本の支配階級に属する人々にとって「常識」であり、孝明天皇長州藩のような原理主義的で排外的な対応を取ろうとする向きと、逆に外国の要求を受け入れることで攻撃をかわそうとする井伊直弼大老の両極の濃淡の対立が幕末の転回の原動力となったということを紹介されます。

 

 そんな中で幕府の軍艦の朝暘丸をめぐる長州藩小倉藩の対立である朝暘丸事件という相当幕末史に通じた人でないと知らない事件を紹介されていて、それが長州藩を始めとする原理主義的な攘夷を標榜する勢力が失脚した八月十八日の政変の契機となったことを指摘されていて、藩内でもあまりに過激な排外主義的行動に対して、ある程度現実的な対応を志向する向きがあったものの、結局過激派に押し切られた結果の失脚ということで、その後の薩摩藩との連携などの”現実策”への転換につながる藩論の”揺れ”につながったようです。

 

 ということで、そういう”攘夷”の対応に向けた揺れが結局は幕府の崩壊につながったというのは、今までありそうで実はかたられていなかったと思われる観点で、ある程度そのことで見えるモノがあるんだなぁ、ということを認識させられた次第でした。