いまさら聞けないキリスト教のおバカ質問/橋爪大三郎

 

 

 いまいち捉えどころのない社会学という学問の大家ということで、ワタクシの中で実像を捉えかねていたのですが、先日紹介した『世界史の分岐点』では”知の怪人”佐藤優さんを向こうに回し、歴史の解釈などではむしろリードしていたのを見て、ワタクシの中で評価爆上がり中の橋爪センセイがキリスト教の素朴な疑問に答える本を出版されたということを知って、早速手に取って見ました。

 

 キリスト教がどんなものかということについて、橋爪センセイ自身が同じ社会学者の大澤真幸さんと対談した『ふしぎなキリスト教』なども読んでみましたが、キモのキモの部分というか、コアの部分については、特にキリスト教の信者の方などキリスト教に造詣の深い人にとっては、あまりにも当たり前すぎて敢えて説明するまでもないことが、実はワタクシを含めた日本人、もしくはキリスト教にゆかりの無い人にとって一番わからないことだったりするみたいなのですが、この本ではそういう「いまさら聞けない」素朴過ぎるギモンに答えてくれるものとなっています。

 

 例えば冒頭で「神様はいますか」という、あまりキリスト教に馴染みのないワタクシでも投げかけないような素朴過ぎて、かつ答えが見つけにくいギモンを設定されていて、それについて答えられているのが印象的です。(敢えて、ネタバレは致しません(笑)…)

 

 特に日本人にとって理解が難しい、全知全能の絶対神の在り方についての考え方を説かれているのが、個人的には一番印象的かつありがたかったところで、日本人の発想だと、功徳を積むことによってよりよい来世を…みたいなことを考えるのですが、キリスト教では、例え見た目上の善行を積んでいる人であっても、「最期の審判」でどういう評価を下されるかは、あくまでも唯一神の判断にゆだねられているということで、人間から神に対して働きかけるという考え方はなく、ただただ神に委ねるということのようで、そういうことに理不尽を感じないというのがキモのようです。

 

 というような感じで、復活の考え方など、信者でない人にとってはツッコミどころ満載のキリスト教への素朴過ぎるギモンが、結構払拭されると思うので、興味がありながらどこか敬遠してしまっていた方は、是非一読してみてください!