一日一生/酒井雄哉

 

 

 天台宗の僧侶で、記録が残っている織田信長比叡山焼き討ち以降で、この本出版当時わずか49人しか成し遂げていない千日回峰行を二度成し遂げた大阿闍梨・浅井雄哉さんが、ご自身の越し方も踏まえて、修行の在り様などについて語られます。

 

 ご自身を割と不器用なキャラだったと話されていて、特攻出撃前に終戦を迎えて以降、職を転々とすることを強いられたり、結婚後わずか2か月で奥さまと死別したりと、不遇を囲われたようですが、導かれるように延暦寺を訪れ、次第に修行の世界に入って行かれたようです。

 

 そんな中で壮絶な修行についても語られていますが、千日回峰行では「不退行」と言われて、途中で辞めることは許されず、自害用の紐や短刀を携えて、修行中は一切座ることもできないというキビシさであるにも関わらず、語り口はフツーの生活について語られているように柔らかで、どこか飄々としたところすら感じさせます。

 

 そういう修行についても、ただただ苦行に取組むというワケではなさそうで、どこか自然と同化しようとするような姿勢が感じられ、そういうことも悟りのひとつの在り方なのかな、という気がします。

 

 そういう自然な姿勢だからこそ、”生き仏”と言えるほどの尊い存在でありながら、身近な信者の方に、もっとエラく見えるようにしないと!?と苦言を呈されるほど親しみのわくお人柄のようで、逆に突き詰めるとそういうキャラになるのかな…とすら思ってしまいます。