日本人を日本人たらしめているものは何か/シンシアリー

 

 

 『韓国人による○韓論』シリーズで知られるシンシアリーさんによる「韓国人による日韓比較論」シリーズの最新作ですが、シンシアリーご自身が日本に移住されて5年が経過し、帰化のための在住要件を満たしたということで、この本が出版される頃には「元韓国人による~」に代わっているかも知れない…と予告されていて、この本は「日本人」となるシンシアリーさんの決意表明と言えるのかも知れません。

 

 在住要件を満たすまでシンシアリーご自身の中でも帰化するかどうかの逡巡はあったようなのですが、韓国人自身が民族性を重視しており韓国人の血統でなければ「韓国人」とは認められないということもあって、日本に帰化して「日本国民」にはなれても「日本人」にはなれないと思い込んでおられたようですが、ラグビー日本代表の多民族による「One Team」にもみられたように、日本に興味があって積極的に馴染もうとすれば受け入れようとする、言ってみれば割とユルイ感じとしって安心したということです。

 

 そんな中で日本人と韓国人に最大の差異として、「謝罪できる社会」ということを挙げられていて、『韓国人による○韓論』でも再三言及されているように、韓国人にとって誰かに謝るということは、「永遠にアナタに従います」くらいの覚悟で言うべきであって、日本人のように一旦謝ったらその罪については「水に流す」といったようなことを考えもよらなくて、日本人がいくら誤っても蒸し返すというのは韓国人にとっては当たり前のことで、だから韓国人は例えあからさまな失敗をしたとしても絶対に過ちを認めようとはしないという姿勢になってしまうということです。

 

 また、一旦相手を受け入れるということは徹底的に「許す」ということで、それこそいつ何時でも相手が家に転がり込んでくるということにもなりかねないようで、日本人のようにある一定の一線を守るということが無いようで、例えば体調が悪くて「ちょっと今日は遠慮して欲しい」みたいなことを言うと、裏切られたといって激しく非難されるということで、シンシアリーご自身は日本人の個人としての一線を引いて尊厳を守るという姿勢に心地よさを感じているようです。

 

 とうとう「日本人」となられるシンシアリーさんですが、あくまでも「日本が好き」だから帰化するのであって、一連の著書で韓国にいたたまれなくなったとか、韓国がキライだからということではなく、「日本が好き」だということが第一義だということを分かって欲しいとおっしゃられています。

 

 宿願を果たされたことには祝福を送りたいと思いますし、祖国を離れたことで寂しい想いをすることがあるかも知れませんが、それ以上に日本で充実した生活を送ることを応援したいと思います。