合コンの社会学/北村文、阿部真大

 

合コンの社会学 (光文社新書)

合コンの社会学 (光文社新書)

 

 

 最近、常見さんが『ちょいブスの時代』で推薦図書として挙げられていた男女関係に関する本を大量に図書館から借りてきて読みつつあります。

 ワタクシが大学から社会人1、2年目の頃はバブル経済の末期で、合コンの黄金時代だったのですが、最近は随分と下火になっているようですね。

 この本は2007年に出版された本なのですが、「社会学」を銘打っていて、著者のお二方も社会学者を名乗っておられるのですが、合コンの役割分担や狙った女の子が被った時のサイン交換など、ワタクシが若き日にサブカル誌なんかで見られたような内容がマジメに紹介されていて、かなりウケました。(あとがきで、合コンを「社会学」として取り扱うことの逡巡を告白されていますが…)

 出会いを求めて合コンに向かうはずなのですが、そこで好みの人を見つけたからと言って、ミョーにガッツくと総スカンを食らったり、なかなか「お作法」が難しくて、意外と出会いを求める手段としては「使えない」傾向が強く、そういったメンドくささが合コンを下火にした側面があったことも否めないようです。

 ワタクシ自身、残念ながらほとんど合コンの経験が無かったんですが、こういうムダな努力が繰り広げられていたことを知るにつけ、行かなくてよかった…と胸を撫で下す次第でした。

 

職業としてのAV女優/中村淳彦

 

職業としてのAV女優 (幻冬舎新書)

職業としてのAV女優 (幻冬舎新書)

 

 

 ワタクシも若い頃にはいろいろとお世話になったAV女優さん方ですが、さすがにここ数十年はご無沙汰だったのですが、かなり状況が変化しているようです。

 というのも、当時と比べるとAVってかなりアンダーグラウンド感が軽減されているようで、AV女優の成り手のリクルーティングも、かつてであれば強引かつアヤシい勧誘が主力だったのに対し、最近はプロダクションがHP上で勧誘をすると応募が殺到するということで、隔世の感があります。

 とはいうものの、セックスを売り物にして、ハダカが公の空間に残り続けるということは間違いのないことのようで、必ずしも女性に取って有益な選択肢であるとは言い難いということで、安易な選択を戒められています。

 まあ、この歳になると別世界ではあるものの、ムスメを持つ父親としての顔もあるワタクシとしては、あんまりそういうところを安易におカネに換えるという選択肢は、可能な限り後ろに持って行った方がいいんじゃないか、とは思うのですが…

 

99%の会社はいらない/堀江貴文

 

 

 堀江さんの仕事論なんですが、そもそも何のために働くのか?と言う部分から問い直したら、こういう考え方もアリかなあ、と今回の本は考えさせられます。

 堀江さんの本って、そりゃフツーの人にはムリ!としか思えない内容が多かったのですが、そもそも何のために働くか?と根源論を言うと、シアワセになるため…ということだと思うのですが、多くの会社はそういう風には機能していないのは間違いのないところでしょう。

 じゃあ、どうやったら楽しく働けるのか、ということなのですが、まず、堀江さんは「会社で働いていたら、ムリ!」と身も蓋もないことをおっしゃいます。(まあ、否定しがたいところですが…)

 現時点で考えられるのは、堀江さん自身が主催されていることも一例なのですが、クラウドファンディングに応募される案件なんかも、その一例なのかもしれないのですが、これ何か楽しそう!と思えることに、オレも一枚咬ませて!みたいな形態が考えられるんじゃないかな、ということのようですが、そうなると旧来的な会社形態では、ほとんど対応できるところがなさそうです。

 ある程度の規模の事業は会社形態じゃないと対応できないんじゃないか、と多くの日本人は思っていたのですが、どうやらそうじゃない形態もあるんじゃないか、ということを意識させたということで、かなりこの本の持つ意義は大きいナじゃないか、と思います。

 

鋼のメンタル/百田尚樹

 

鋼のメンタル (新潮新書)

鋼のメンタル (新潮新書)

 

 

 数々の歯に衣着せぬ発言で「炎上」を引き起こしている百田さんがかたる「メンタルタフネス」論です。

 百田さん自身「大放言」で激しいバッシングを受けておられますが、この本の中でおっしゃるところによると、必ずしも平然とされてばかりではないということで、ヘコんでおられる時もあるようです。

 ただ、だからと言ってシュンとなって、ただただ反省というワケでは、モチロンなくて、言うべきことは言わなくては!ということのようです。

 子供の頃から、どの辺まで言ったら地雷を踏むのか、ということをトライアルアンドエラーで、肌感覚として試してこらえたという経験もあって、バッシングへの対応も筋金入りです。

 根底にあるのは、日本人は他人に対していい人と思われたいという志向が強すぎる、と指摘されています。

 ある程度、その部分を諦めると、かなり言いたいことをしっかりと言い切れるみたいです。

 引用されている橋下元大阪府知事のコメントが印象的だったのですが、木星から自分の発言を見たら、全然大ごとではない、ということをおっしゃっておられますが、多分百田さん自身もそう思ってらっしゃるんでしょうね…(笑)

 

D.カーネギーの成長力

 

D・カーネギーの成長力

D・カーネギーの成長力

 

 

 自己啓発書の草分けとも言える、デール・カーネギーの『道は開ける』や『人を動かす』と言った書籍のエッセンスから、テーマごとに役立つ内容を取り上げると言ったモノで、この本のテーマは「成長」です。

 「成長」をする上で、すべての基盤をなすのが「自分を信じる」ということで、それがなければ、あらゆる意味で成長を期待できないということです。

 「自信」を持つことが、何らかの行動につながり、そのための情熱につながり…ということで、すべての基盤につながるということです。

 ということで、根拠はなくても「自信」というのは、間違いなく「成長」の基盤になるようです。

 

 

さかなクンの一魚一会

 

さかなクンの一魚一会 ~まいにち夢中な人生!~

さかなクンの一魚一会 ~まいにち夢中な人生!~

 

 

 さかなクンが「さかなクン」になるまでの自叙伝です。

 この本でも強調されていますが、さかなクンの今日があるのは、一重にご家族の理解があったからなんだなと、つくづく思わされます。

 さかなクンは幼少の頃から、好きになったものにはまっしぐらで、それ以外のモノが見えなくなる傾向が強かったようで、学校のセンセイなどから、あまりにもサカナばかりに入れ込んで、学校の勉強が疎かになっているのを注意されたようですが、お母さまはガンとして、さかなクンのやりたいようにさせたということですが、中学校の子供を持つ親としては、とてもマネができないことだなあ、と感嘆させられます。

 それで、希望だった水産大学に進めなかったという挫折はあるものの、好きなことを貫き通した結果、逆に水産大学で教鞭をとるまでになるという大逆転劇を実現したのは、ご家族全体での成果だったんだな、と感じます。

 自分の子供にそこまでスキなことが見つかったら、世間一般の尺度でブレーキをかけるのが望ましいとは言えないんだなぁ…とちょっとフクザツな想いのする内容でした。

 

林修の仕事原論

 

 

 「今でしょ!」の林センセイの「仕事」論です。

 林センセイは、別に好き好んで予備校やテレビの仕事をしているわけではないのですが、だからと言って、「結果」を残さなければ「仕事」をしたとは言えない、その「結果」というのが、お客さんや上司といった周囲の関係者を如何に「満足」させるか…それができないのは、あくまでも自分のせいだとおっしゃいます。

 そういう周囲の人を「満足」させるためには、如何にその人たちの求めるものをしっかりと注視して、それを満たすために周到な準備をするか、ということだということです。

 自分がどんなにリッパなことを考えていても、相手が満足してくれなければ、全く意味のないことで、そういう独りよがりな仕事の仕方をキビシく戒められています。

 林センセイ自身も、そういう風に周囲の期待に応えてきたからこそ、今自分に相応しいと思える「書く」と言う仕事に恵まれてきつつあるとおっしゃいます。

 意外とこういう観点で「仕事」論を展開する本ってなかった気がするので、結構身に詰まされる気がしました。