マンガでわかるコンプライアンス大全/遠藤研一郎、にしかわたく

 

 

 昨年は、BIG MOTORやジャニーズ事務所の不祥事など企業のコンプライアンスに関わる大きなスキャンダルが続発してコンプライアンスについて考えさせられることが多かったのですが、ジャニー喜多川氏の性犯罪はともかくとして、BIG MOTORの不祥事についても、きっと内部にいるとバランス感覚がマヒしてしまったのかもしれないと思えるフシもあって、あまりにコンプライアンスについて気にしておかないといけないことの範囲が広がり過ぎて、すべての事象について知識を仕入れていることは不可能となりつつはありますが、普段からそういうコンプライアンスについての感度を研ぎ澄ましておくことが、知らぬ間にコンプライアンスの地雷を踏むことを避けることができるんじゃないかということで、こういう本を手に取ってみました。

 

 この本では普段の会社での業務だけでなく、会社における人との関わりにおいて、知らず知らずやってしまいがちなコンプライアンス違反に関わる80の事例が紹介されていて、それはアカンでしょ!?と誰もがわかるものから、それダメなの!?とちょっと驚くものも含めて様々紹介されています。

 

 ハラスメントも、次から次へと増えていっていますし、かつては通用したとされるものでも、今や重大な違反となるモノも数多く含まれていますし、不要物の処理など高度な専門的な知識を要するモノもあるようです。

 

 BIG MOTORの過剰なノルマの押し付けのような事例ではないですが、特に追い込まれた状況でテンパった時に、これくらいはいいんじゃないか!?という悪魔の囁きに身を委ねたくなることもあるワケで、そういう時に「センサー」を働かせるという意味でも、時折こういうモノを会社の中で共有して、周囲の誰かが「それヤバいんちゃうの!?」と言える状態を作っておくことが重要なのかも知れません…

マクロ経済学の核心/飯田泰之

 

 

 「失われた〇十年」がいつまで続くのだろう…と思って久しいですが、経済政策も財政政策も何の役に立ってるんだ!?とか、経済学者って何の役に立ってるんだ!?と思う人も少なくはないと思うのですが、マクロ経済学ってわからないところが多すぎるところがあると思うということもあって、原点に立ち戻って…ということでコチラの本を手に取ってみました。

 

 この本はかなりGDP(位は聞いたことがあるでしょ!?)などの国民経済計算から始まって、IS-LM分析→総需要曲線・総供給曲線の均衡というところを順を踏んでマクロ経済学の基本的な理論を順を追って紹介されているのですが、それでもマクロ経済学に影響を与えるすべての要素を考慮しきれているワケではないですし、そういう分析に影響を与える要素として、全体としての国民のマインドというフツーに考えても不確定な要素までを変数として考えなくては分析が成り立たないということもあって、マクロ経済学の有効性って!?と思ってしまいたくなります。

 

 外交官試験の対策でマクロ経済学を勉強していた頃に、流動性のワナなんてモノを知って、こんなことって起こりうるんだろうか…と思った記憶があるのですが、ここ数年の日本経済の状態は正にこの状態にあるようで、落胆しつつどこかカンドーを覚えるワタクシはちょっとヘン!?と思いつつあります。

 

 ということで、ウマくいかないからと言って知らなくてもいいということではないでしょうし、なるほどこういう状態にあるのか…ということを知っておくだけでも自己防衛的なスタンスを取れるということもあるので、サラッとでも知識を仕入れておくのもアリじゃないでしょうか…(まあ、ナマナカなことでは理解したとナットクできないとは思いますが…)

「世間」とは何か/阿部謹也

 

 

 コロナ禍における「自粛警察」の温床になったり、田舎に移住した人をハブるなど、とかく印象の良くない「世間」ですが、その「世間」研究の今や古典とも言える名著を手に取ってみました。

 

 「世間」についての名著だということで、社会学者の方が書かれたのかな!?と思っていたのですが、著者の阿部さんのご専門はドイツ中世史ということなのですが、なぜ「世間」に着目されたのかというと、哲学が発展していない日本で、なぜこれほどまでに欧州的な学問を受けれる素地があったのかというところに興味を持たれて、それが「世間」にあるのではないかということで、研究対象にされたようです。

 

 ということで、昨今割と否定的に見られがちな「世間」ではあるのですが、必ずしもそういう色眼鏡はお持ちではなかったようで、万葉集から明治時代に至るまでの文学に現れる「世間」を観られることで、どういう捉え方をされてきたのかの変遷を辿られています。

 

 古くは万葉集に「世間」というコトバが表れているということなのですが、その頃は「うつせみ」とかというコトバと同等に扱われていたようで、来世に対応する現世的な概念があったようです、平安時代には性的な側面もあったようで、かつ「浄土」に対応する現世の概念もあったようで、どこか俗なイメージをはらんでいたようです。

 

 さらに時代を進めて、江戸時代になって、それ以前は貴族や武士といった支配階級に独占されていた文学が庶民にも親しまれるようになり、より世俗的になった「世間」の概念が紹介されるワケですが、そのもの『世間胸算用』も書かれている井原西鶴の著作に現れる「世間」を紹介されていて、「穢土」とか「娑婆」とか、どこか「浄土」と対応した現世の概念に近いところをイメージさせるところが興味を引きます。

 

 さらには、明治維新を経て西欧文化流入を受けての、「社会」や「個人」の概念の流入を経て「世間」がどういう受け取られ方をするかについて語られているところが興味深く、英国滞在経験がある夏目漱石のとらえ方も紹介されているのですが、漱石自身は「社会」と「世間」をそれほど区別されているワケではなかったようで、その分「個人」のとらえ方もあいまいなところがあるようなのですが、時代が進んでフランス滞在を経験された永井荷風になると、より現代的に「社会」と「世間」の差異が明確感じていたようで、その分「世間」からの「個人」への抑圧も意識されるようになり、金子光晴になると、はっきりと「個人」への抑圧についての「世間」への反発が明確になっていったことを指摘されています。

 

 ということで、「世間」へのとらえ方の変遷を見ていくことで、変わらない部分と変わってきた分が明確になり、よりその実像が明らかになるということで、「古典」とされる意義が理解できるような気がします。

50歳の分岐点/和田秀樹

 

 

 『80歳の壁』以降、怒涛の勢いでシルバー本を出版している和田センセイですが、その原点ともいえる本が再販されたので、手に取ってみました。

 

 元々、2013年に『思秋期の生き方』というタイトルで出版されたということなのですが、その後のオトナとしての生き方を模索する「思春期」に対し、老後の生き方に想いを致すことを勧めるということで「思秋期」というコトバを提唱されたようです。

 

 書かれている内容は、その後『80歳の壁』以降、一連の著書で繰り返し語られていることと、ほぼほぼブレがなくて、高血圧やダイエットなど、ヘタにガマンして数値のツジツマを合わせようとするよりも、思うがままにストレスを減らして生きる方が充実したリタイア後の人生を送れるのではないか、ということを勧められています。

 

 ただ、50歳代という衰えを実感し始める年代ということもあって、弱気が出てきて、イッキに活動量を減らしてしまって、グンと老けてしまうことあるようで、そういうことに気を付けるべきで、ムリのない範囲で積極性を維持しようということを勧められています。

 

 あまり『80歳の壁』以降の著書と違って、積極的に恋愛をするというところが特徴的で、あまりハメを外すのは問題とはいいながら、老化に対する恋愛の効用をかなり強調されています。

 

 ワタクシも50歳代半ばとなって、それなりに活動量は維持してきたつもりなのですが、コロナ禍で単身赴任を解除して、ほぼほぼ在宅勤務になって以降、やはりどうしても活動量が減少しつつあり、恋愛のところはともかくとして、せっきょき的な姿勢というのは見習っていきたいモノです。

何が投票率を高めるのか/松林哲也

 

 

 長らく投票行動についての研究をされてきた方が、投票率に影響する様々な事象について、統計的な分析を交えて考察された本です。

 

 かなり学術的な色彩の強いモノで、数式を駆使されているということもあって、ド文系のワタクシとしてはとっつきにくいところはあるのですが、投票率に影響する様々な変数については興味がそそられるところです。

 

 日本は世界中の先進諸国の中でも群を抜いて投票率が低いということですが、与党自体があまり投票率が高い方が選挙における成績がいいということもあって、積極的に投票率の向上に取り組むということもなさそうではあるのですが、民主主義の原則からして、できるだけ投票において多数の意見が反映されている方が好ましいということもあって、できれば投票率が高い方がいいということ(都合の悪い、与党も正面切って反対はし難いところでしょうし…)で、どうやれば投票率が高くなるかということを、様々な変数を取り上げて分析されています。

 

 天候とか、投票所の数とか、女性議員や新規参入生徒の多寡とか様々な変数を提示されているのですが、概ねステレオタイプのイメージ通りというのが、あまり読み物としてオモシロくはないワケですが、大体多くの人が思っているような投票への誘因というのは、投票率向上に有効なようで、じゃあ、そういう施策がなされないのは、投票率が上がると当選の確率が怪しくなる与党が積極的でないせい…と思ってしまうワケですが、できるだけ多くの意見を集めようというのは、一定政治としての重要な責務だとも指摘されており、現在のように与党に都合のいい、高齢者や富裕層ばかりが投票率がいいという状態を、若年層や低所得層も意識すべきで、自分たちの意見が反映されるように、野党などを中心に積極的に促していきべきなんじゃないかと思うのですが…

サクッとわかるビジネス教養 ビジネスモデル/山田英夫

 

 

 ビジネスに必須のトピックについて端的に語る「サクッとわかるビジネス教養」シリーズの1冊で、今回取り上げるのは「ビジネスモデル」です。

 

 「ビジネスモデル」というのはわかったようでわからないモノの最たるモノだと思えますが、この本では「稼ぐ仕組み」と定義して、儲けの源泉となっている仕組みを紹介されています。

 

 構成としては、様々な業界における「王道」とされるビジネスモデルと、そこから進化した「特徴的な」ビジネスモデルと対比して、その新規性と、儲かるようになった秘訣を語られます。

 

 「王道」のビジネスモデルは、やはりそれなりに有効性の高いモノで、それゆえに重宝されて長いスパンで活用されることが多いのですが、やはりどれだけよくできたモノであっても、状況の変化などでどこかにひずみが出てくるモノで、その歪みをいち早く見出して、改善するところが「特徴的な」ビジネスモデルということで、「稼ぎ」につながることが多いようです。

 

 「特徴的な」ビジネスモデルでは、それまでのプロセスを切り落としたり、付け加えたり、まとめたり、拡充したりと様々な観点での取り組みがなされることを、大きな「稼ぎ」につながっている先進的な取り組みの実例を、「稼ぎ」につながるポイントとともに紹介されています。

 

 個人的に印象的だったのがセブン銀行のビジネスモデルで、何を変えているかというと、「顧客」を転換していることが斬新で、これまで競合となっていた他行を「顧客」として、ATMの使用量を稼ぐというモデルで、メンテナンス費用がかさむATMを整理したいという他行とのニーズともマッチして、大きく顧客層を広めたことが着目されます。

 

 この本では様々な「特徴的な」観点を紹介することで、読者自身がビジネスモデルを考える際に、「王道」の歪みとその解決策を見出すように考えられているので、どんどんそういう観点を取り入れて、センスを磨いていきたいところです。

永続敗戦論/白井聡

 

 

 これまでも反体制的な言論の多い、白井さんの著書を何冊か紹介してきましたが、これまた権力者への批判的な言説で知られる内田樹さんとの対談本『日本戦後史論』や東京新聞の望月衣塑子記者との『日本解体論』だったり、もしくは講演を収録した『長期腐敗体制』だったりと、純粋な著書を紹介していなかったような…

 

 で、こちらが白井さんの出世作とされるモノなんだそうですが、これが観念的というか哲学的というか…とにかくわかりにくい…

 

 基本的には、日本はちゃんと「敗戦」を認め(総括し)なかったことで、その状態を「永続」されていて、そのことがバブルの崩壊を経て、日本社会のあらゆる側面でその歪みが露わになってきているということで、その弊害が一番顕著に出たのが東日本大震災を発端とする福島第一原発の事故処理だとおっしゃられていますが、今だったらコロナ禍もそういった文脈で語られるのかもしれません。

 

 そういう様々な事象と「永続敗戦」論を結び付けて語られてはいるのですが、個人的には難しすぎてイマイチそのつながりが読み取れないのですが、ひとつだけ腑に落ちたのが、民主党政権における沖縄対応で、鳩山首相普天間基地辺野古基地への移転を撤回して、国外移設しようとした件がアメリカの圧力で頓挫して、辞任に追い込まれた件で、日本では民意よりアメリカの意向を重視しなくてはならないことに、独立国家とは言えないのではないかということで、「横田空域」や「地位協定」など、他のアメリカの影響下の強く国であっても、こんな準植民地みたいな国は一つもないことを思えば、日本政治の怠慢に強い憤りを示すべきたというところです。

 

 この一つだけをとっても、自民党政権に日本人の誇りを語る資格がないことがうかがえます…