しつこい不安が消えてなくなる本/上野清香

 

 

 最近クローズアップされるようになってきた繊細な感覚を持つ人たちHSP(Highly Sensitive Person)の中でも、子育て中のママでHSPの人を対象にした本です。

 

 この本の著者である上野さんがご主人の歯科クリニックで歯科衛生士をしながら、いろんな悩み相談を受けているということなのですが、個人もHSPで、相談を受けている中にもHSPに該当するような人が居られるということで、HSPのカウンセラーとしても活動されているということです。

 

 HSPという概念がクローズアップされるようになったのは1990年代以降ということでごく最近のことで、それ以前はHSPの人自身が適応障害的な疾患なんじゃないかという受け止め方もあったようですが、あくまでも性格的な特性だということもあって、かなり対応策も普及しつつあるようです。

 

 特に自分がHSPだということを認識することでかなり救われることが多いようで、ついつい自分に負荷をかけすぎるという傾向を知ることで、そこに気を付けて意識して”抜く”タイミングをつけるようになることで、煮詰まる状況を軽減することができるということです。

 

 かなり完璧主義的な傾向が強く、周囲のことで気になることが平均的な人と比べて格段に多いことから、かなり精神的にツラい状況に陥るケースが多いようですが、それだけに細やかな対応が可能な側面もあり、メンタル的な問題とならないように気を付けることで貴重な人材となる可能性も高いようで、こういう本を参考にするとか、早めに専門家にかかってでも、うまく折り合いをつけて才能を活かしてもらいたいモノです。

地図でスッと頭に入る中東&イスラム30の国と地域/高橋和夫

 

 

 これまでもいろいろと中東諸国やイスラム教についての本を読んでは来たのですが、イマイチ、コレだ!という本には出合えてないような気がして色々と手を出し続けてはいるのですが…

 

 この本はイスラム教国に限らず、北アフリカ~中東~西アジアの30ヵ国を、イスラム世界の歴史を差し挟みつつ、それぞれの国のプロファイルを紹介するという企画の本です。

 

 この本の中でひとつウマいこと言ってるなぁ…と思ったのが、世界を人間のカラダに見立てたら、中東は心臓に当たるということで、なぜなら石油という血液を世界に搬出し続けるというフレーズに深くナットクさせられてしまいました。

 

 また、かつてはオスマン帝国など、世界に冠たる帝国だった時期もあって、産業革命以降西欧諸国に押されてはいるモノの、文化的にも世界をリードしただけあって、それを受け継ぐ隠れたキラメキを放つ国家を紹介されています。

 

 第二次世界大戦以降、イギリスをはじめとした西欧諸国の老獪というか、欺瞞に満ちた外交に苛まれて抗争を繰り返した挙句、弱体化してしまった居るという側面はありますが、オイルショック以降次第に存在感を取り戻し、その豊かなイスラム文化を背景に徐々に勢力を取り戻しつつあるということで、今後のリバイバルを期待したくなるような気がしました。

レンズが撮らえた幕末日本の事件史/日本カメラ博物館

 

 

 ペリー来航から明治維新期に残された写真をもとに幕末史を語るという本です。

 

 幕末期には、ボチボチ写真撮影が始まっていたのですが、教科書なんかではパラパラその頃の写真が掲載されてはいますが、日本カメラ博物館では幕末~明治維新期の写真が多く所蔵されているということで、それをイッキに本にまとめて、写真をベースに幕末史を語ろうという、なかなかワクワクさせられる企画の本です。

 

 タイトルで「事件史」を名乗っていながらも、モチロン当時の日本における写真技術では、幕末の事件そのものの写真を残すというのはムズカシイこともあり、当時の人物のポートレート、しかも海外に赴いた人物のモノが中心なのが多少残念ではあるのですが、咸臨丸でアメリカに渡った若き日の福沢諭吉勝海舟や、欧州に留学中の「長州ファイブ」こと若き日の伊藤博文井上馨の若き日の写真もあったりとなかなか興味深いところです。

 

 また、文久遣欧使節が観光でエジプトを訪れた際に、侍の風体でスフィンクスの前で撮った写真も掲載されており、さしたる「事件」なワケではないのですが、なかなか興奮させられます。

 

 一番衝撃的だったのが、生麦事件の被害者となった英国人であるリチャードソン氏の遺体写真で、それだけでも事件の生々しさを思い起こさせます。

 

 さらには、写真をベースとして語るということもあって、フツーに歴史を語る上では出てきにくいトピックも多々出現しており、印象的だったのが桜田門外の変の際に、井伊直弼の襲撃にピストルが使用されていたらしい、ということはなかなかの衝撃です。

 

 多少残念な部分も無きにしも非ずなのですが、それでも充分に当時の状況を思い起こさせるのに十分で、なかなかに素晴らしい企画の本ですので、幕末好きの方は必読です!!

「プランB」の教科書/尾崎弘之

 

 

 「プランB」というのは、当初実行し始めた計画「プランA」が何らかの事情でウマく行かなくなったことが見通せる状況になった時に実行すべき代替案のことなのですが、得てして日本企業ではこの「プランB」の発動を躊躇することが多く、「プランA」に固執するがあまり失敗へと直行することが多いということを指摘されています。

 

 そもそも「プランA」を計画する時点で、あらゆる状況を想定して、かつそれぞれの状況に対する対策を講じた上で計画を策定することは不可能であり、そういう想定とは異なる状況に陥った時に「プランB」を発動するもので、「プランA」通りにいかなかったからと言って必ずしも失敗を意味するモノではないはずなのですが、どうも日本の組織においては、「プランB」を発動すること自体が「プランA」の下でプロジェクトを開始した人のメンツに関わることだと捉える傾向が強いようで、それが故に「プランB」の発動を抑止しようとするような同調圧力が働きがちだということです。

 

 ただ「プランA」が想定していた前提となる状況がなくなってしまった中で「プランB」に移行しないということは失敗の確率が圧倒的に高まるワケで、「プランA」を継続しようとする同調圧力を超えてでも「プランB」を発動すべきなはずですが、そういう必然性を超えてでも「プランB」の発動を促そうとするインセンティブは働きにくいようです。

 

 この本ではそういう状況と、それを超えてでも「プランB」を発動させるための方策を紹介されていて、強制的な発動の仕組みを組み込んでおくなどの方策を指摘されていますが、結局は権威のある意思決定者の説得力にかかっているという側面もあり、得てしてそういう意思決定者がメンツにこだわることが多いと「プランA」に固執してしまうという堂々巡り的なことも想定され、なかなか日本における組織ではムズカシイところはあるんでしょうけど、環境変化の激しい中、躊躇なく「プランB」に移行できるような組織的な文化を醸成しないと、グローバル化の中、なかなかキビシイという側面もあるようで、日本のあらゆる組織が究極の選択を迫られるような気がします。

文系のための理系読書術/齋藤孝

 

 

 齋藤センセイの「読書のススメ」ですが、今回は文系の人たちへの理系本のススメです。

 

 ”知の怪人”佐藤優さんが、昨今は理系的な教養が不可欠だと再三おっしゃっているので、できる限り意識して理系的な本を読んでこのブログでも紹介するように心掛けてはいるのですが、元々数学や物理などがニガテで理系を放棄したこともあって、深層心理に苦手意識が焼き付いていて、余程興味のソソられるネタの本をかなりの覚悟を以って手に取っているというのが現実です。

 

 齋藤センセイによると、現代の知的好奇心の対象となるモノのかなりの割合がいわゆる理系のモノであり、それを切り捨ててしまうのはあまりにもったいないんじゃないの!?ということと、文系だけに本を読むこと自体には抵抗はないはずなんで、ちょっとアレルギーを置いといて、新たな世界をのぞいてみては!?ということのようです。

 

 ただ、いきなりゴリゴリと専門書を読むのにはムリがあるので、理系的なトピックにアレルギーがある人にとっても、ある程度ハードルが低いモノということで、

 

 ・理系的なトピックをテーマにした小説や科学者の伝記などストーリー性のあるモノ

 ・理系的なテーマをゴリゴリの文系にも分かるようにやさしく噛み砕いたモノ

 ・世の中の様々な現象を理系的な観点から解説したモノ

 

という大きく分けて3つのジャンルのモノを手掛かりに理系的なトピックへのアレルギーを解消して、その面白さを垣間見て欲しいということのようです。

 

 それぞれやはりかなり興味はソソるモノで、要はコチラの色眼鏡を如何に取っ払うかということですし、上記のような観点の推薦図書を山ほど紹介してくれているので、少しずつ紹介して行こうと思います。

学校に居場所がないと感じる人のための未来が変わる勉強法/安田祐輔

 

 

 ご自身も不登校、引きこもりを経験して、現在不登校や引きこもりの学生が大学を目指した学習を支援する個別指導の進学塾を主宰されている方が語られる、大学進学に向けた学習のススメです。

 

 不登校になった人の体験談を何かで読んだ時に、不登校になった時点で「人生詰んだ」みたいに感じる人が少なくないということで、ただでさえツラい状況であるにも関わらず、そういう感覚に苛まれて、自らより深い”沼”にハマり込んでしまうことも少なからずあるということですが、ただ単に周囲との折り合いがウマく行かなかっただけで、自殺するほどツラいんであれば迷うことなくそこから逃げるべきだと思うのですが、そういう追い詰められた場面から「逃げた」ことに過度の呵責を感じてしまうようです。

 

 そういった”沼”から抜け出すためのひとつのキッカケとして大学を目指すことをススめられているワケですが、一旦引きこもってしまうとなかなかサイド学習に取組むことはカンタンではないということですが、それでもいろいと工夫しをして行くことでそれは不可能なことでは無いということで、そのためのヒントをいろいろと提供されています。

 

 最も大事なのが「自己との対話」で、”こうあるべきだ”というイメージは一旦置いておいて、自分に今何ができるのかということを見極めて、それを着実にこなすことで、徐々にできることを増やしていくという取組ができることが多いということです。

 

 例えば、朝起きることができないんだったら勉強する時間を夜でもいいじゃないか!?ということで、できることを少しずつ増やすことで大学への合格も決してムリではないということです。

 

 大学だといろんなバックグラウンドの人がいて、きっと自分と合う人もいるはずで、理解の無い教師やイジメた同級生に人生を台無しにされたままでいるのではなく、一発逆転ではないですが、自分らしい生き方を取り戻すためにも、そういう境遇にいる人たちには是非是非是非、手に取ってできればこの本のススめているようなことを試してもらいたいものです。

英語は決まり文句が8割/中田達也

 

 

 タイトルだけ見ると決まったフレーズだけ覚えれば、手っ取り早く英語を話せるようになりますよ、と捉える向きも少なからずおられるとは思うのですが、この本は割と硬派というか、コアとなるターゲット層はそんなに英語のスピーキングスキルが高くない日本人の英語に慣れていない、ガチのネイティブスピーカーとゴリゴリと英語でコミュニケーションをする人がターゲットになっているんじゃないかと思われます。

 

 そういう人になぜ「定型表現」を習得することを勧めるのかと言えば、まず1点目は、ある程度効率的に英語を学習できるということは感覚的にも理解できると思うのですが、どちらかというとガチのネイティブスピーカーに誤解されないような英語を話す/書くことができるということの方が意義としては大きいのではないかと思われます。

 

 というのも「大きい」という意味の英語を話そう/書こうとするのに、"big"を使うのか"large"を使うのか、というのは多くの日本人が分かりにくいところなんじゃないかと思うのですが、どちらを使うかによって確実に受け取る側のイメージは異なるはずで、じゃあどちらを使えばより自分の意図に忠実に伝わるのかということを考えると、それぞれのコトバのそもそもの意味というものをかなりディープに把握する必要があり、日々ネイティブスピーカーとコミュニケーションを図る必要のある人が、数限りない単語に対してイチイチそう言うことをしているワケには行かないということで、ネイティブスピーカーが慣用的に使用している表現をそのままパクるのが最適解になるんじゃないか、ということです。

 

 この本では、こういう場合にどういう表現を使うべきなのかということを調べるWebサイトなんかも、かなり詳細に紹介されており、かなり英語を実務として使う人にとって有用な情報が満載で、もうちょっとそういう人を意識したタイトルの方が良かったんじゃないかという気はしますが、敢えて編集者が手に取ってもそれほど役に立つとは思えない初心者も食いつくようなタイトルをつけて売上を広げようとしたのでしょうか!?