卑日/シンシアリー

 

 

 『韓国人による〇韓論』シリーズのシンシアリーさんによる韓国人の反日を紹介したモノですが、この本ではコロナ対策であるK-防疫の一次的な成功が契機となった新たな反日の流れと大統領選をカバーされています。

 

 第一弾である『韓国人による恥韓論』から一貫して、韓国人は日本人より”上”の立場に立って見下そうとする姿勢を取ろうとするということを語られていますが、今回のそのネタというのがホンの一時ウマく行っているように見えたコロナ対策のK-防疫だということなんですが、そういうあっという間に破綻し、長い目で見るとどちらかというと日本の方がコロナ禍に伴う死亡率は低いそうなのですが、そういう都合の悪い所は見ないフリをしてでも、日本に対してマウントを取ろうとする様子を紹介されています。

 

 しかもそういうマウントを取ろうとする人は、往々にして困窮しているケースが多いようで、特に名門大学を卒業してもマトモな職に就けない若年層が典型的な人物像だということもあって、そういう層の不満を反らす意味でも、日本に対してマウントを取るのは政権にとっても重要な政策の一部のようです。

 

 先ごろ、日本にとっては疫病神ともいえる文在寅大統領が退任し、尹錫悦大統領が就任しましたが、この本では大統領選の状況を紹介されていて、文在寅いじょうの極左だという李在明候補のバリバリの反日ぶりを紹介されていて、大統領にならなくてよかった…と心底ホッとした日本人は多いと思います。

 

 在任前に日本に使節団を送るなど日本との外交関係の修復に意欲を見せているように見える尹錫悦大統領ではありますが、程度の差こそあれ韓国人であるからには反日ではないということはあり得ないようで、困ったことになったら反日政策に逃げ込むでしょうし、ましてや国会での勢力が過半数に満たないこともあって、急激な親日的政策が受け入れられるはずもなく、過度な期待を抱くべきではなさそうです。

 

 

何のために伝えるのか?/池上彰

 

 

 この本は池上さんが教鞭を取られている愛知学院大学で2021年の春学期に15回に渡って行われた「ジャーナリズム論」の講義をまとめたモノだということです。

 

 池上さんらしく、ジャーナリズムが生まれた経緯から、そもそもジャーナリズムとはどういうモノなのか、どうあるべきなのか、そして日本のジャーナリズムの問題点、新たなジャーナリズムの在りようまでをカバーされた、概観が理解できる内容となっています。

 

 特に日本のジャーナリズムについて、欧米と比較した場合の権力からの独立性について熱心に語られていて、どうしても日本の民主主義が「勝ち取った」モノではなく「与えられた」モノである側面が強いからか、民主主義を「勝ち取った」欧米諸国のメディアが権力と「闘う」姿勢を前面にしているのに比べ、むしろ権力と「共生」しているように見えるところに、本来ジャーナリズムが担うべき権力のチェック機能を十全に果たしていないことを指摘されています。

 

 その象徴的な事象として、高市早苗氏が総務大臣だったころにテレビ局の停波をちらつかせたことを挙げておられますが、欧米であればそんなことを言った日にゃあ、大臣からの更迭どころか、その政治家の政治生命の危機に値するということで、安倍政権が批判的なキャスターの降板を促したと取り沙汰されることも含めて、自民党のメディアの扱いは、おおよそ民主主義を標榜する政権のやることではないということを糾弾されています。

 

 また、ネットが担うジャーナリズムの役割の方向性について語られている内容も興味深く、確かに旧来のメディアと比較して信頼性が著しく劣るということはあるのですが、権力のチェックや真実性の追求という面では強力なツールとなりうるケースを紹介されていて、なかなか目からウロコなモノでした。

 

 いつもの池上さんらしく、プレーンな内容に見せかけながら、権力にスルドいナイフを突きつけているように見えるのが、ジャーナリストとしての矜持であり、池上さん自身の活動が権力に睨まれないのかな!?とかって思ってしまいますが、学生からもそういう質問を受けておられて、フリーランスだから大丈夫なんですよ!と笑っておられるのが印象的で、こういうジャーナリストがまだ残っていることに、ちょっとホッとする想いがした次第です。

シンプルな英語/中山裕木子

 

 

 技術英語のスペシャリストで特許出願の英訳なども手掛けられていた方が紹介される”英語習得法”です。

 

 ワタクシ自身、コミュニケーション英語の修得をテーマにした著書を出版したこともあることもあって、英語習得法についての著作については、それなりに評価の軸を持っていると思っているのですが、久しぶりに「これや!」と思うような英語習得本に巡り合った気がします。

 

 そもそも、英語と日本語というのはコトバの構造が余りに異なっていて、英語から日本語に訳すのは、それなりにできることが多いのですが、一度仕事で通訳のマネごとをしなくてはいけなくなった時に、日本語で何を言っているのか理解できなくなってしまったこともあって、日本語→英語に置き換えて英語を話そうとすることが、どれほど荒唐無稽なことかを身をもって体験している、それほど多くない人の一人だったりするもんで、この本のおっしゃっていることの重要性をよりよく理解できる一人なんかないかと思っています。

 

 よく言われるように、日本語というのは主語が希薄な言語であるのに対し、英語というのは「主語がどうする(動詞)」というのがコトバの軸となっており、そもそも置き換えという発想自体が間違っているということになります。

 

 ということで、シンプルで通じやすい英語を話すためには、「主語+動詞」というキモに忠実な内容を発信することが近道となるはずだというのが、この本のキモだと思われます。

 

 よく日本人は、ItとはThereといった実体のない主語や受動態を使いたがるのですが、発信したい内容のキモとなるモノを主語として使うことが、より伝わり那須い内容となるということで、日本語ではあまり馴染みのない無生物を主語にする方が、実は伝わりやすかったりするようで、「タッチパネルには太陽電池を搭載しています。」という日本語を"The touchscreen uses solar cells."とされているのには、ちょっと参りました…

 

 発想の転換というのは、取っ掛かりはかなり大変だと思うのですが、そういうモノになれてしまえば、そのあとはかなり急速な進化が見込めそうで、手っ取り早く”使える”英語をモノにしようと思っている人は、ダマされたと思ってこの本と心中してもらいたいと強く思います。 

奈良で学ぶ寺院建築入門/海野聡

 

 

 建築史の研究家の方が紹介される「古建築」の愉しみ方入門です。

 

 余計なハナシなんですが、建築史って文学部史学科ではなくて工学部建築学科で学ぶモノだったんですね…

 

 「古建築」というのは古代の建築様式で建てられた建築物を指すそうで、実は「古建築」というのは奈良でしか見れないそうで、歴史的な建造物で知られる京都でも鎌倉時代以降の建造物しか見れないということで、「古建築」を見ようと思ったら奈良に来るしかないようですが、著者の海野さんは東京から朝に新幹線に乗ったら、昼前には着きますよ!と軽くおっしゃいます…(笑)

 

 まあ、ワタクシは奈良在住なんで全然いいんですが、古代建築に興味のある人からしたらわざわざ奈良に来てまで見るだけの価値があるということで、唐招提寺薬師寺興福寺東大寺を例に取って「古建築」の愉しみ方を、かなりディープに紹介されています。

 

 入門編といいながら、工法のかなりディープな部分まで語られているので、通訳案内士の受験勉強で建築様式についてはある程度カジッた経験のあるワタクシでも全然ついていけませんが、その工法の進化や歴史的、宗教的な意義についても語られているので、かなり興味深い所です。

 

 特に当時の先進国である中国や韓国との政治的な兼ね合いまで、建築様式に反映されているということで、唐招提寺の金堂は鑑真和上へのリスペクトの意味もあって、紫禁城の様式を模していたり、薬師寺の様式は新羅との融和の意味もあって、様式をとりいれていたりということで、かなり文化的な交流がディープになされていたことを窺わせます。

 

 何にせよ、本だけで読んでても仕方ない部分も多々あるので、近いこともありますし、この本を手にこれらの寺院をディープに愛でたいところですね!(笑)

古文書はいかに歴史を描くのか/白水智

 

 

 磯田センセイが『殿、利息でござる』の原作である『無私の日本人』などの著書で古文書の読み解きについて触れられることがあるのですが、この本は江戸時代の研究を専門にされる方が、古文書の探索などのフィールドワークそのものにフォーカスした内容の本です。

 

 日本史の世界では、社会学などと比較するとフィールドワークを行うことは少ないということなのですが、それでも古文書そのものを見るだけではなく、古文書が保管されている状況も含めて現場を見ることによって、古文書だけではわからない情報を得られることもあって、今後、フィールドワークに取組む若手の研究者が出てくることの期待も含めてなのか、こういう本を書かれたようです。

 

 江戸時代は、庄屋などの富農が納税や調停といった行政の一端を担うことがあったということで、旧家で万の単位の古文書が発見されることもあるということで、著者である白水さんは折に触れて、長野県や山梨県を中心に古文書を探索されているということです。

 

 単純に古文書そのもので保存されているだけでなく、不要な紙として襖や障子に使われていることがあったり、裃や袴に縫い込まれていることすらあるそうで、そういうところに使われている古文書にも重要な情報が含まれていることもあるということです。

 

 往々にして保有されている方もその重要性を認識していないことも多く、また伝統的な旧家の方は古文書の調査を受け入れることに消極的だったりすることもあって、知らないうちに重要な古文書が処分されたり、散逸したりすることが多いようで、特に地方大学の研究者に古文書のフィールドワークのノウハウを持つ研究者を育てて、行政と連携してそういう古文書の保全を図るようにすることの重要性を強調されています。

 

 また、そういう古文書を契機に、地域の文化の啓蒙なども図られていて、そういう意味でも行政が古文書の保全を図る意義があるようで、財政的に限りはあるとはいえ、積極的に取組んでもらいたいものだと感じます。

 

 まあ、旧家との古文書調査の交渉などメンドーなことも少なからずあるようですが、考古学者になることも考えたことがあるワタクシとしては、かなり羨ましく、ワクワクしながら読了した次第です…(笑)

新説の日本史/河内春人、亀田俊和他

 

 

 昨今は日本史の研究の推移が激しく、教科書に掲載されているようなド・定説であっても改編時に撤回されるような事態が頻発しているようですが、2021年時点での最新の研究に基づいた「新説」を各時代の代表的な研究者により紹介された本で、先日『攘夷の幕末史』を紹介した町田明広さんや『観応の擾乱』でヒットを飛ばされた亀田俊和さんが執筆陣に加わられています。

 

 平安時代の国風文化がホントに存在したのか!?とか日米通商修好条約が必ずしも”不平等”条約じゃなかった!?とか、数十年前に日本史を学んだワタクシからすると真逆の説もあるのですが、新たな史料が見つかって旧来の定説が覆されたというよりも、押しなべて研究者のその時点の感覚に基づいた思いこみだったり、権威のある研究者が唱えた説だったりとか、とある事象を過剰に大きく捉えてしまったといった、”誤解”に基づく判断が”定説”となってしまったということが多いようで、この本の執筆陣のような若手の柔軟な研究が契機になって、異端とされる説が見なおされることが多くなっているようです。

 

 最近は自称学界の異端児・本郷センセイが『歴史をなぜ学ぶのか』で語られているような柔軟な思考の歴史学者がヒットを飛ばすなど、かなり自由な空気が広がっているようで、そういった空気が日本史学界の進展につながるといいのですが…

ネット大国中国/遠藤誉

 

 

 中国を中心にアジア諸国の国際情勢の研究家として知られる遠藤誉さんが語られる中国のネットを取り巻く状況について紹介された本です。

 

 この本は2011年に出版されたモノなので、この本が出版された時点から中国のネットを取り巻く環境は著しい進展を遂げているワケですが、この本は特に中国政府のネット監視の状況を中心に紹介されています。

 

 特に2010年末に発生したチュニジアにおけるジャスミン革命の事例にかなり神経質になっていたようで、ネットにおける反政府的な動きへの監視の体制を確立するのに躍起になっていた時期だということで、検閲をめぐってGoogleを中国から撤退させる経緯だったり、ネット上の「万里の長城」と言われるグレートファイアウォールという検閲の仕組みなどの仕組みなどを紹介されています。

 

 この頃はまだ胡錦濤政権だったので、現在の習近平政権においてより精緻なネット上の管理の仕組みが完成するワケですが、この頃から既にネット上の監視はモチロン、政府機関がなりすましでSNSに投稿することによる世論の形成といったことも実施していたということで、しかも割と反政府的なネット民にウケのいい、政府の高級官僚の汚職摘発なども織り交ぜてガス抜きをするなど、硬軟織り交ぜてのネット世論形成の対策の巧みさには感嘆させられます。

 

 さらには、経済的な繁栄も相まって、反政府的なネット世論はかなり影を潜めているように見えて、ある意味少数独裁の理想的なカタチを見せつけられているような気すらします…