ゼロコロナという病/藤井聡、木村盛世

 

 

 最近、SNSをフォローしていて、かなり政府に批判的な意見を連発されている藤井先生ですが、安倍内閣で内閣参与をされていたと知ってビックリ!

 

 同じく政府のコロナ政策に懐疑的な医師である木村盛世との対談です。

 

 コロナというのは、結局振り返ってみればペストなどこれまでの世界的なパンデミックを引き起こした感染症と比べると致死率はかなり低かったことでもわかるように、それほどの毒性があったワケではなさそうなのですが、日本における極端な恐れの空気が、過度な「自粛」を招いたということです。

 

 それを招いたのが危機感を煽るメディアと、責任を取ることから逃げる政府だということで、お二方もコロナ関連で出演を求められたテレビ朝日の『モーニングショー』で、コロナの恐怖を煽るコメントを求められて断った結果、直前になって出演依頼を取り下げられたことを紹介されています。

 

 結局、その頃はコロナの恐怖を煽ることが視聴率につながったということで、カネ儲けのためにコロナの恐怖を煽り続けた挙句、経済をボロボロにしてしまったワケですが、この本で触れられているワケではないのですが、最近の放送で、コロナ禍で自宅に引きこもった老齢者がフレイルになったことを取り上げている厚顔には呆れる想いがします。

 

 さらには、政府としては生命を守るとさえ言っていれば責任を果たせると思っていたのか、本来であれば経済とのバランスの判断をすべきところを、コロナの恐怖の空気のまま、ロックダウンに近い政策をとってしまうということになったようです。

 

 本来であれば政策決定の意見の中には公衆衛生学という感染症を社会全体から見る専門家の意見を仰ぐべきだったを、感染症そのものの専門家にばかり意見を求めた結果、そのリスクを避ける意見ばかりに耳を傾けることになった結果、社会生活をないがしろにしたという側面もあるようです。

 

 ただ、そういった状況を招いた原因の一つに、日本人の死生観の「幼稚化」という側面もあるようで、多くの重症患者が押し寄せた場合に一定のトリアージが取り入れられることが合理的だと思うのですが、80歳代以降の高齢者と20歳代を同じ土俵て扱うという不合理をヘーキでしてしまうところなどあきれるばかりで、ただただ死を恐れるというか、死をタブー視するといった状況が招いたところもあるようで、結局コロナ禍は日本人のレベルにふさわしい結果をもたらしたといえるのかもしれません…