テロルの昭和史/保阪正康

 

 

 『昭和史』の半藤一利さん亡き今、残された「昭和の語り部」である保坂さんが昭和史におけるテロルの歴史を語られます。

 

 この本を書かれた契機となったのが、やはり安倍元首相の銃撃だということですが、最近の状況が、戦争に突入していく昭和初期の状況に似てきているという指摘があちこちで見られる中、悲劇を防ごうという意識も働いているのかもしれません。

 

 昨今、社会を取り巻く状況が戦争の突入していく昭和初期に似てきているという指摘をあちこちで目にしますが、安倍元首相の襲撃しかり、ロシアのウクライナ侵攻に対して、それを上回る暴力で撃退することを「よし」とする風潮など、動機に問題がなければ「暴力」の行使を容認するような空気が、我々国民の中にも出てきているんじゃないかということで、大正から昭和初期のテロルの連鎖と似たような状況が生じかねないという危惧を指摘されています。

 

 昨今の政治不信同様、昭和初期においても政財界の腐敗への不満が国民の間に渦巻いており、「純真無垢」な若手将校たちがそれに立ち向かったということで、5.15事件~2.26事件に至る一連のテロを世論が支持していたということがあるようで、安倍元首相の襲撃についても、山上被告の減刑を求める動きがみられるように、行動自体よりも動機を重視してしまうところに、日本人のメンタリティの危うさがあることを警告されているのが印象的です。

 

 そういうテロルの連鎖が結局国全体の破滅に追い込む戦争への導いたという側面があるように、こういう時だからこそ「暴力」に対して厳しい目を向けなくてはいけないということを思い起こさせてくれるモノでした。