教養としての世界宗教史/島田裕巳

 

 

 宗教学者島田裕巳さんが語られる宗教史です。

 

 以前、島田さんの『世界史が苦手な娘に宗教史を教えたら東大に合格した』を紹介して、宗教と権力の関りを通して語ることが世界史を理解する上でかなりメリットが多いことを紹介されていましたが、今回はそもそも宗教がどのようにして生まれ、発展してきたかということと、各宗教の原理みたいなモノを紹介されていて、個人的にはかなり興味をソソられるモノとなっています。

 

 宗教史ということなのですが、人類の出現から語られていて、言語を持つことで抽象的な概念を表現することができるようになったことや、二足歩行をするようになったことで得た空間把握などが相まって、さらには集団生活を送るようになって、元々は他の動物同様、非宗教的だったヒトが次第に祈りを見出すようになって、宗教的なモノが発生したという起源を語られているところが印象的です。

 

 そういうアニミズム的な原始宗教から、ユダヤ教を起源とする一神教世界宗教が生まれてくる過程を語れているところも印象的で、社会が次第に複雑化していく中、次第に頼るべき絶対的な存在を求めるようになったということが、目からウロコなのですが、よく言われがちな一神教vs多神教というのも実は皮相的な見方に過ぎないということで、多神教でよくある「無」や「空」の概念は一神教における「絶対神」とかなり近いイメージがあるというのは意外ではあるのですが、かなりナットク感のある指摘だと、ワタクシは思います。

 

 個人的にはイスラム教についての紹介のところで、あまりイスラム教をよく知らない人からすると戒律が多く、割と窮屈なイメージがあるのですが、実はその解釈はかなり自由があって、あまり異説を排除しようという感じではないようで、そのユルさがある意味世界宗教となるのに必要な要素だったといえ、個人的には「究極の宗教」なんじゃないかと思えるのですが、ただそのユルさゆえに、原理主義的な動きや暴力的な過激派を生みやすい土壌にあるというご指摘はかなり興味深いところです。

 

 そのほかにも、今やヒンズー教の方が仏教よりかなり信者数も少ないのになぜ「世界三大宗教」の一つに数えられるのか!?とか、ブッダは実在したのか!?とか、日本における神仏習合の在り方など、かなり宗教的に興味深いトピックが満載で、400ページ以上の大著であるにも関わらず、イッキに読ませられました!

 

人類5000年史III/出口治明

 

 

 出口さんのライフワーク『人類5000年史』の第三弾で、1冊目、2冊目と1000年刻みだったのですが、今回の対象は1000年から1500年と500年が範囲となっています。

 

 世界史の知識が乏しいワタクシとしては、段々とついていくのがキビシくなってきつつあって、割と世界中の歴史の同時代性を強く意識されているので、唐突に別の国のエピソードが出てくると言うこともあり、かなり戸惑うことが多くなってきました…

 

 この頃はやはり中国とイスラム諸国がヨーロッパ諸国に対して相当な先進性を誇っていたということで、特に中国についての記述が多くなっているのが印象的です。

 

 この期間は王朝で言うと、宋から元を経て明に至るということですが、宋代における統治機構の精緻さについて、摂関政治だった日本と比較して宋が近世だったとしたら当時の日本は古代と思えるくらいの差があるとおっしゃっていて、その先進性を強調されています。

 

 特に出口さんが『世界史の10人』でも取り上げていた王安石の治世の先進性について紹介されていますが、経済政策や軍事に関わるところまでかなり広範な政策を整合性を以って実施されている凄みについて触れられていて、さらには自身が死去した後も自身の意図した政策を継続できるようにデザインされていたということで、王安石の政策が完全に実施され続けていたらどんな先進国家ができていたのだろう…と想いを馳せられていて、かなり傾倒されていることがうかがえます。

 

 また同じく『世界史の10人』の中で取り上げられているモンゴル帝国の全盛期の指導者クビライ・ハーンについてもかなり紙幅を割いて語られていますが、史上最大の世界帝国を築き上げた要因について、現代のグローバリズムにもつながる、当時ではまれに見るダイバーシティを飲み込む世界観を賞賛されているのが印象的です。

 

 この頃のイスラム帝国については、モンゴル帝国に征服されていた時期も長かったこともあって、この本での言及は『人類5000年史II 』と比べると控えめです…

 

 ヨーロッパについては、日本ほどではないにせよ、中国と比べるとかなり遅れていたことは否めないのですが、英国におけるマグナカルタなど、後年の民主主義につながる考え方の萌芽が見られることに言及されているのが印象的です。

 

 なかなかツラくなってきていますが、頑張って1500~1700年を扱う『人類5000年史IV 』にもトライします。

最期の日本史/本郷和人

 

 

 本郷センセイの日本史本ですが、今回のテーマは「死」です。

 

 2023年の元旦出版ということなので、おそらくコロナ禍を経ての死生観みたいなモノもあっての出版だと思われ、あまり日本史とは関係ないのですが、コロナ禍で日本以外の欧米諸国などは、死を想うという「メメント・モリ」という考えがあって、一定「死」を仕方がないモノとして考えるところがあり、日本のように「人の命は地球より重い」みたいなことが言われることはなかったので、比較的早めに通常の経済生活に戻ろうというインセンティブは働きやすかったという言及は興味深いところです。

 

 そういう日本人の「死」に対する考え方や死生観みたいなモノを歴史上の事実からの類推や文献などからふんだんに紹介されていて、今までの本郷センセイの日本史本の中では、個人的には際立って興味深い内容となっています。

 

 個人的に特に興味深かったのが、主に皇室における死に対する「穢れ」という感覚で、平安時代などはもう死を免れないというような病人が出ると、手当てをするどころか邸内で死なれると困るとばかりに、遠いところに放置しに行くという、ちょっと現代の感覚からすると考えにくい冷酷な対応が常識だったということで、本郷センセイご自身が時代考証をされた大河ドラマ平清盛』において、朝廷内で清盛の母が殺害されるシーンについて、あんなことはあり得ないと大ブーイングを浴びたようですが、そういう死に対する不浄観みたいなモノが、今なお死を語ることをタブー視する日本人の死生観に大きな影響を与えていることがうかがえます。

 

 それ以外にも、切腹についての考証や、不遇の死を遂げた人が怨霊となるとされることについての考え方、戦国期の首級の扱いなど、日本人の根底となる死生観についての様々な興味深いトピックが満載ですので、日本人の在り方に興味のある方は、是非とも一読の程を!

国難のインテリジェンス/佐藤優

 

 

 ”知の怪人”佐藤優さんが各界の名だたる論客との対談を集めた本です。

 

 佐藤さんの対談本というと、あるテーマでお一人の方とガッツリまる一冊かけて対談される形式が多い印象で、その中の多くで相手を圧倒するモノを思い浮かべますが、この本は週刊新潮の「佐藤優の頂上対決」と題した対談の連載を集めた本だということです。

 

 それぞれの対談が新書本で10数ページのボリュームだということもあり、概ね対談相手の専門分野に寄り添ったモノとなっていて、驚くほど佐藤さんの色が希薄なのに驚きました。

 

 ただ、対談相手というのが週刊誌の連載ということもあって、AI「東ロボくん」を東大受験に挑戦させた過程を紹介した『AI vs. 教科書が読めない子供たち』の新井紀子さん、『未来の年表』の河合雅司さん、『下流社会』の三浦展さんなど名だたるベストセラーの作者が目白押しの豪華版です。

 

 中にはあまり佐藤さんが普段取り上げないイノベーション論の専門家などとの対談も含まれていますが、やはり近年佐藤さんが熱心に取り組まれている教育論についてのモノが興味深く、このブログでも『18歳の君に贈る言葉』を紹介した超名門進学校として知られる開成中学校・高等学校の校長柳沢幸雄さんとの対談や、読解力について語られたAI研究家の新井紀子さんとの対談が印象的で、いつもの対談本に見られるよりもはるかにツッコミ具合は控えめながらも、エリート育成についての強い関心をうかがわせるツボを得た言及が印象的です。

 

 時には「うす味」の佐藤さんもいいモノですよ!?(笑)

対決!日本史3/安部龍太郎、佐藤優

 

 

 『対決!日本史』で戦国時代から鎖国まで、『対決!日本史2』で幕末から維新までを扱った、歴史小説家の安部龍太郎さんと”知の怪人”佐藤優さんの日本史本ですが、今回は維新から日清戦争が範囲だそうです。

 

 当初は日露戦争までをカバーしようとしたようですが、あまりに話が盛り上がった挙句、日清戦争までとなったようです。

 

 この頃になると、敢えて日本史を世界史と対比しなくても、ある程度日本が世界に顔を出すようになるので、当初の意義みたいなものは薄れるところはあるのですが、やはりさすがはこのお二方、結構独自の視点が出てきて興味深いところです。

 

 日清戦争以降、世界デビューしてからわずか10数年の間に帝国主義のお作法を身に身に着けた様子を紹介されていますが、その思想的な背景として実は吉田松陰が挑戦を足掛かりにして中国に手を広げていく世界戦略みたいなモノを構想されていたということで、そのお弟子筋が忠実にその構想を辿って行ったという側面があるようです。

 

 その突破口として朝鮮への圧力を強めていくワケですが、ちょうど欧米列強との不平等条約の改正に取り組む苦難を味わう中で、同じことを朝鮮にして、不平等条約を押し付けるやり口に、お二方が口を極めて当時の対応を非難するところが印象的で、そのあたりから身の丈に合わない帝国主義の実践があって、日清戦争戦勝後の下関条約で調子に乗り過ぎた挙句、三国干渉を食らうというシッペ返しを体験しつつも、着実にお作法を身に着け、リッパに好戦的な国家となっていく過程が、後の悲劇を知る後世のモノとしては、やはりかなり残念に思えます。

 

 

なぜ日本企業はゲームチェンジャーになれないのか/山本康正

 

 

 ベンチャー投資家の方が語られるイノベーションについての本です。

 

 近年の印象では、この本のタイトル通りイノベーションとは縁遠いような気がする日本企業ですが、戦後数々のイノベーションと言えるような変革をもたらしているのは確かで、インスタントラーメン、内視鏡、コンパクトカー、ウォークマン、ウォシュレット、QRコードと印象的なイノベーションを成し遂げてきたワケで、近年、イノベーションと縁遠くなっている背景を、近年のイノベーションの事例と対比させて、その要因を探ります。

 

 この本では金融、食、医療、モビリティといった分野でのイノベーションの事例を紹介されていますが、いずれもITを活用したイノベーションとなっており、日本が得意とするモノづくりの分野でのイノベーションが生まれにくい状況となっており、プラットフォームビジネスにおいてデフォルトスタンダードの形成を得意とするアメリカの土俵でのイノベーションが主戦場となっていることがその要因の一つだということもあるようです。

 

 また、多様性がイノベーションの土壌として理想的だとされるのに対して、日本はかなり同質性が強かったり、割とプロフェッショナリズムや専門家の意見がイノベーションの妨げになるのに対して、日本ではそういうモノを尊重する文化があるということですが、それでも戦後数々のイノベーションを起こしてきたことは確かですが、近年、長期にわたる経済の低迷で日本経済全体が活力を失っていることが、やはりイノベーションから遠ざかっている最大の原因と言えるようです。

 

 だから、まだまだ日本が強みを持つモノづくりの分野とITの融合など、日本がイノベーションを引き起こす可能性は十分にあるとされており、そういったモノを契機に日本経済が活力を取り戻すよう、みんなで希望をもってガンバらないといけませんね⁉

世界インフレと戦争/中野剛志

 

 

 中野剛志さんがコロナ禍、ロシアのウクライナ侵攻を受けての「グローバリズムの終焉」について語られます。

 

 元々、中野さんはグローバリズムの効用について懐疑的な立場を取られてきたワケですが、2022年のロシアのウクライナ侵攻を以って、グローバリズムの流れは一旦終焉したと断言されています。

 

 2008年のリーマン・ショック以降、かなり怪しげな感じだったのが、コロナ禍でかなり疑問が大きくなり、ウクライナ侵攻がグローバリズム終焉の決定打となったようですが、それ以前から中国の台頭やアメリカの影響力の低下もあって、終焉が間近だったようで、ウクライナ侵攻自体もアメリカによるNATO拡大というリベラル圏拡大の目論見が失敗した結果だと指摘されています。

 

 グローバリズムによるコスト低減競争が終焉を迎えた結果、エネルギー調達やウクライナが世界的産出国である小麦を始めとする食糧の調達が困難となる中、世界的なインフレを迎えることになったということです。

 

 エネルギー資源や食料価格の高騰によるインフレの発生ということで、世界的にスタグフレーションに入ったということを指摘されていますが、これまでの世界史上で4回の大きなインフレの流れを経験されているということを語られていますが、今回のウクライナ侵攻同様、インフレというモノが、紛争だったり革命だったりといった大きな社会変革が背景にあるということで、今回のインフレについては今後かなり長期間にわたる紛争の影響下にあることが想定されるということで「恒久戦時経済」ということを想定されていますが、執筆当時は影もカタチもなかったであろう、ハマスイスラエル攻撃を契機とした第五次中東戦争へともつながりかねない紛争も発生していることが、その予測の正しさを傍証しているようでもあり、今後、より世界的な分断が大きくなっていくような気がしますが、それがいいことなのか、どうなのか…