スサノヲの正体/関裕二

 

 

 『古事記』や『日本書紀』で語られている神話というのは、外形的なことは知っていても、かなり論議を呼ぶ部分が多いらしく、しかもかなり政治的にビミョーな内容を含むことも多いようですが、その最たるモノらしいスサノヲを主人公として語られた本です。

 

 そもそも『古事記』と『日本書紀』の成り立ちについてもかなり外形的な知識しかないようで、『日本書紀』が一応日本の正史として語られたモノであるのに対し、『古事記』は伝承を記録したモノだという感じで学校の日本史では教えますが、「正史」というのは当時の為政者にとって都合のいいように語ろうとするのが世の常で、『日本書紀』は当時の権力者である藤原氏にとって都合のいいように語られていると考えるのがセオリーと言えばセオリーとなるワケです。

 

 この本で個人的に衝撃的だったのが、実は成立年代は『古事記』の方が後で、『日本書紀』に対する批判的な内容を含んだモノなのではないか!?という仮説で、両者の記載が相当異なるスサノヲについての記述がその証左なんじゃないかということです。

 

 その傍証として、歴代の天皇が、その『日本書紀』ではその始祖とされる天照大神を祀る伊勢神宮に、明治天皇が参拝するまで持統天皇を除いては誰も参拝していないのに対し、歴代の天皇がスサノヲと縁が深いとされる熊野本宮大社を参っているのがその傍証だとされています。

 

 スサノヲのモデルとなった人物がタニハと言われる旧国名で言うと但馬、丹波、丹後、若狭の地域主審だったとされており、その後の政争で敗れ去ったということですが、一時期それなりに影響力があったということで、そういう人を神話の中で暴れ者として蔑むことで、後世への影響力を削いだのではないかということで、逆にそれほど影響力があったのではないか、ということらしく、次第にそういう傍証も出てきているようで、今後の研究に注視したいところです。