一流の指導力/立花龍司

 

 

 日米の野球界において、コンディショニングコーチとして活躍された立花さんによるコーチングに関する本です。

 「コーチング」というと最近はビジネスの世界でも取り沙汰されるようになっていますが、立花さんの提唱するコーチングと言うのは、日本のプロ野球において旧来から行われていた押し付け型の“コーチ”ではなくて、選手の意志を尊重し考え方を引き出す、ビジネスの世界での“コーチング”に近い方法論を提唱されています。

 旧来型のように押し付けてやらされるよりも、自らの気付きを元に実践する方が、ナットク感もあってか、圧倒的にパフォーマンスがよくなるということです。

 コンディショニングコーチということで、カラダの方ばっかりを想定していたのですが、そういうメンタルの部分を重視した考え方って、立花コーチが活動を始めた頃は相当斬新だったでしょうね…野茂さんが球団との軋轢を顧みず立花さんに固執した理由が、この本を読んでわかった気がしました。

 

なぜ皇居ランナーの大半は年収700万円以上なのか/山口拓朗

 

 

 物欲しげなタイトルに、ランナーであるワタクシはビミョーにイラッとしたりするのですが…

 このタイトル自体、RUNNETというランナー向けのサイトの匿名アンケートに基づくもので、その信憑性について誰も検証をしていないという甚だ根拠に乏しいものです。

 まあ、端的に言えば、こんなにキモチいいから、みんなも走ろうぜ!ということなのですが、それをカラダにいいとかというのは直感的にわかるのでいいのですが、アタマがよくなるとか、ストレスが軽減されるとか、ある程度科学的に正当性が証明されていることとはいえ、いろいろとこねくり回して、こーんなメリットがありますよ!って…そんな副次的なメリットにそそられて走ろうかなって思う人がおるんかな?

 結局ハマってしまって、早ラン歴6年となったワタクシとしては、走る人が増えるのはウレシイ部分もありますが、そういうサモシイ根性で始めても、あんまり長続きしないような気がするんですけどね…

 まあ、走ってみたいけど最後の一押しが欲しい人は手に取ってみてもいいんじゃないっすか!?

 

採用基準/伊賀泰代

 

採用基準

採用基準

 

 

 長らくマッキンゼーで採用業務や新人育成に携わ
って来られ、勝間和代さんを採用されたことでも知
られ、最近は社会派ブロガーちきりんさんの正体で
はないかと取りざたされることも伊賀さんの著書で
す。

 あくまでもマッキンゼーの砕よ基準そのものでは無いということですが、伊賀さんがマッキンゼーにおいて求めていた人材と、一般的に日本企業が欲しがる人材に明確な違いがあるということで、そのあたりにも触れられています。

 日本企業では楠木新さんの一連の著書にもありますが、優秀な人を欲しがりながらも結局は周囲と“ウマくやれる”人を求める傾向が強いんですが、伊賀さんがマッキンゼーの採用担当として求めていた人材は、

 1. リーダーシップがあること
 2. 地頭がいいこと
 3. 英語ができること

ということなんですが、日本では1.と3.を満たす候補者が極めて少ないということです。

 また日本ではリーダーシップについてかなり誤解が多いということで、「採用基準」をタイトルにしているものの、かなりリーダーシップ論についても紙幅を割かれています。

 伊賀さんのおっしゃるリーダーシップというのは、必ずしも「人の上に立つ」ことを意味するワケではなく、成果の最大化に向けて自律的に行動できる人だということで、必ずしも集団のトップのみである必然性は無くて、個々の構成員がリーダーシップを発揮して行動することを求めるようです。

 どうしても日本の企業では組織のシガラミに拘泥されてなかなか目的に向かって一直線に…というワケにはいかないことが多いのですが、そういった姿勢を持つ人が増えて行かないと、日本の生産性の低さが解決されず、グローバルな市場から取り残されかねないですよね…

 

活字アイドル論/小島和宏

 

活字アイドル論

活字アイドル論

 

 

 以前『中年がアイドルオタクでなぜ悪い!』を紹介して、アイドル本にありがちな、ひたすら自分が推すアイドルを礼賛しようとするスタンスではなくて、「プロ」のアイドルライターらしく、熱烈な「推し」を持ちながらも最後の一歩を踏み込まないスタンスが印象的だった小島さんの「活字のみ」のアイドル論です。

 この本では元々週刊プロレスの記者だった小島さんがどんな経緯でアイドル関連の著述を手掛けるようになったのか、プロレスでの取材・著述の経験がどのようにアイドル関連の記事を手掛ける際に活かされているのかということを語られます。

 この本の冒頭でも豪語されていますが、ほとんどアイドルの写真のないアイドル本という、以前だったら企画段階でボツになるような本なのですが、プロレスライター時代の経験を活かし、実際に現場にいなかったとしても、ありありとその時の様子を思い浮かべることができるような徹底した現場志向、ファン目線の著述を心掛けておられるということです。

 また、そういうスタイルを確立する過程で、取材対象となるアイドル本人たちとの距離感をどのようにするかという葛藤についても語られます。

 対象がアイドルなんで軽く見られがちですが、読んでいて沢木耕太郎さんがニュージャーナリズムの方法論への逡巡を思い出させたのですが、取材対象の対峙と言う意味で何ら変わることはないんだなぁ…と感じさせられました。

 

負け美女/犬山紙子

 

負け美女 ルックスが仇になる

負け美女 ルックスが仇になる

 

 

 情報バラエティ番組なんかでコメンテーターとしても活躍されている犬山さんのデビュー作です。

 元々、ブログやツイッターなんかで友人である美女の生態をアップしていたのが人気になり、この本でデビューをしたということです。

 よく美女ほど縁遠いなどといいますが、この本で扱われている美女たちは必ずしもそんなワケではないのですが、美女たちが必ずしもシアワセな恋愛をしているワケではなく、DVやストーカーまがいの被害に遭うこともあったり、自ら(としか思えないような勢いで)異常ともいえる恋愛に飛び込んでしまうようすを、イラストを交えてコミカルに描きます。

 常見さんのジェンダー論の推薦図書の一環かと思って手に取ったのですが、かなり柔らかい内容で、え、そんな美女がそんなことを!?とオドロキながら、メチャメチャ面白いので、軽い暇つぶしの一冊として手に取ってみて下さい。

 あ、電車の中では読まないことをおススメします。(面白すぎて、アヤシイ人になってしまいますので…)

 

女子のキャリア/海老原嗣生

 

 ここのところ延々と常見さん推奨のジェンダー論関連の本を読み続けていますが、この本が一番プレーンでパランスが取れている気がします。

 主に会社における女性の地位の変遷を取り上げられていて、モチロン今の状況が女性に取って理想的なワケではないんですけれども、諸外国の女性の社会進出のプロセスを見ても、日本は順調とは言えないまでも、着実に進展しているとおっしゃいます。

 というのも本格的に会社における女性の待遇の改善のスタート地点となったのが1999年の雇用機会均等法の施行で、そこからまだ十数年しか経っていないということもあって、会社でキャリアを志向する女性の数自体がようやく増えてきたという状況で、徐々に会社の制度も、そういうキャリア志向の女性を受け入れる体制を整えつつある状況だということで、現在は雇用自体は増えてきているモノの、管理職の女性自体が少ないということで、雇用の「質」がまだ追いついていないようですが、ただそれも時間の問題だとおっしゃいます。

 そんな中でひとつ海老原さんが警鐘を鳴らされているのが、一般職が従事する「庶務」的な仕事の軽視なんですが、どっちかと言うとこちらの方が女性にとって「変えの利かない」仕事ができる可能性もあるということで、やたらと資格や語学に走るよりも、仕事のプロセスに精通する方が、社内でのキャリアを深める意味でも、転職をしようとする上でも「使える」スキルになる可能性が高いと指摘されています。

 あとは、選択の幅を広げるという上で、子供を産む時期の選択肢を広げるという意味で、35歳位までに出産しないと…という社会的な認識に、あまり科学的な根拠はなく、統計的に見ても40歳代で出産することが荒唐無稽なことではない、ということを指摘されています。

 社会の環境をもっと女性のキャリアを高めるのにいいモノにしなくてはならないのはモチロンなのですが、そういう他力本願だけでなく、目の前の状況に不満を覚えるばかりでなく、柔軟な対応を志向することで、キャリアも結婚も出産・子育ても両立されることができる可能性があるようです。

 

 

無頼化した女たち/水無田気流

 

無頼化した女たち

無頼化した女たち

 

 

 昨日紹介した『無頼化する女たち』が2009年出版で、この本が2014年出版ということで、前の本出版以降の動向を追ったモノかとおもいきや…なんとこの本の最初の200ページ余りは、まんま『無頼化する女たち』…それに『女子会2.0』でも対談に参加されていた西森路代さんとの対談と、最後の20ページ弱に東日本大震災等の大きな社会変動を経た上での女性の「無頼化」の様子にサラッと触れた後、ご丁寧に『無頼化する女
たち』のあとがきをまんま持ってくるという、なかなか前例のない斬新な構成です。

 対談パートも、その頃にしか通用しないであろう時事ネタがバンバン飛び交っているにも関わらず、一切注釈無しというザツな造りで、こんな本造りあり?と、もしこれをおカネを出して買ってたら、かなりアバレたくなってだだろうなあ…

 それでも、新書→単行本化という異例のプロセスを経てもこんな本が求められているということを、逆説的に感じさせられました。