スーパーで買っていい食品買ってはダメな食品/河岸宏和

 

スーパーで買っていい食品 買ってはダメな食品 ―食の現場のホントのところがわかる本

スーパーで買っていい食品 買ってはダメな食品 ―食の現場のホントのところがわかる本

 

 

 食の安全を啓発し続ける河岸さんの著書です。

 今回はスーパーで売っている様々な食材の選び方、使い方を紹介されています。

 以前の著書でも指摘されていたのですが、スーパーは結構食品の販売について問題を多く抱えていると言うことで、卵の常温売りとか、刺身の盛合せは売れ残りを遣っていることがあったりとかということを紹介されていましたが、この本ではそれぞれの食品で行われている可能性のある“細工”だとか、こういう売り方をしていたら信用して言うという見極めといった、実用的な目利きについて紹介されています。

 そんな中で店員さんにこういう質問をして、ちゃんと答えられたら信用していい店だよ、ということを、それぞれの食材ごとに紹介されます。

 そういうのってうっとうしがられるよなぁ…と思うのですが、河岸さんはそうやってスーパーを鍛えて、少しでも「食の安全」の意識の高い店を育てて行こうということを提唱されています。

 不況が長引いた昨今ではどうしても「安さ」が重視されますが、それでカラダを損なっていては元も子もないので、もうちょっと「安全」サイドに倒して考えるためにも、こういう本で意識を上げていきたいモノですね。

 

日本の大課題 子供の貧困/池上彰

 

 

 『藻谷浩介対話集 しなやかな日本列島のつくりかた』の中で取り上げられていたので手に取ってみました。

 昨今、子供の貧困がメディアで取り上げられるようになりましたが、深刻なのは“貧困のサイクル”に飲み込まれてしまうと、個人的な努力でそこから抜け出すことは極めて困難だということです。

 しかも、貧困に陥るのは、両親のうちのどちらかとの離別など偶発的に起こりうることであり、そういう自体に向けてのセーフティーネットが整備されることが期待されるのですが、そういう支援に税金を使うことを非難される向き(そういうサモシい根性にハラが立って仕方がないですが…)があって、そういう制度の整備が進んでいません。

 現状では、一部の篤志家の個人的な努力に支えられている部分が多くて、稀な僥倖に恵まれない限り、あるべき教育を十分に受けることができず、結果として“貧困のサイクル”から抜けられない、もしくは次の世代に“貧困の再生産”をしてしまうことにもなりかねません。

 何とかこういうところにキッチリテコ入れできないと、“一億総活躍”なんて単なるキレイごとに終わりますよ、安倍さん!

 

沖縄・久米島から日本国家を読み解く/佐藤優

 

沖縄久米島から日本国家を読み解く

沖縄久米島から日本国家を読み解く

 

 

 先日、「知の怪人」佐藤優さんが元沖縄県知事の大田さんと対談した本を紹介しましたが、その中でこの本のことに言及されていたので手に取ってみました。

 この本は、佐藤さんが収監されていた時に差し入れられた、佐藤さんのお母さんの出身地である久米島の習俗に関する関する『おもろさうし』という本を読んだ際に着想を得たということで、これまでの「霞が関から見た世界」に染まっていた自身を反省し、世界を、お母さんの出身地である久米島から見たらどうなんだろう…ということで書かれたということです。

 終盤に、この本を書き始めた当初、自身の「久米島性」も、自身の日本のナショナリズムに包摂されると思われていたようですが、どうもそうならなかったというとこに、『沖縄は未来をどう生きるか』でも触れられていたように、どこか沖縄を日本とは違うモノだという意識が露わになったようです。

 それにしてもこの本を読んでかなり衝撃的だったのが、如何に我々が沖縄のことを知らないか、ということで、日本がペリーが来航して日米和親条約を結んだ1854年に琉米修好条約を結んだこととか、アメリカが薩摩藩からの圧迫から琉球王国を開放(という名の下に自らの影響かに置くように)しようと思っていたこ
と等々、しかも久米島琉球王国からも独立した国家であったこと、琉球王国さらに久米島国は、日本よりも中国の方が身近な存在であったことなど、我々「内地人」はもっと沖縄のことを知らないといけないんだ、ということを痛感させられました。

 

 

ぼくたちに、もうモノは必要ない。/佐々木典士

 

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -

 

 

 ワタクシは割とモノが多いこともあって、ヨメから時折モノを整理…というか捨てる…ように言われるのですが、逆に“ミニマリスト”と言われる、極限までモノを持たないようにしようとする人たちにも興味があります。

 この本を書かれた佐々木さんもかつては“モノ持ち”だったようなのですが、思い立って“ミニマリスト”となったことで、かなり人生がシンプルになったとおっしゃいます。

 印象的だったのが、「一瞬で不幸になる方法」として、「他人と比べる」ということを指摘されており、多くのモノがそういう見栄や虚栄心から買っているという側面もあり、ホントウに必要なモノだけを突き詰めることで、そういう「不幸」から逃れられるということです。

 また、掃除やモノの管理の手間も圧倒的に少なくなり、物理的にも心理的にも人生がシンプルになりますし、満足感も向上するようです。

 ちょっと整理を始めてみようかな…

 

ママっ子男子とバブルママ/原田曜平

 

ママっ子男子とバブルママ (PHP新書)

ママっ子男子とバブルママ (PHP新書)

 

 

 原田さんの本が続きます。
 
 先日紹介した原田さんの『さとり世代 盗んだバイクで走り出さない若者たち (角川oneテーマ21)』や「さとり(ゆとり)世代」を取り上げた牛窪恵さんの著書でも指摘されていましたが、この世代の人たちって、家族と仲がいい人が多いというのが特徴だと言われます。
 
 「さとり世代」の中でも特に母親と仲がいい男子を「ママっ子男子」と言うそうなのですが、「ママっ子男子」の中には、母親と一緒に旅行に行ったり、一緒に服を買いに行ったり、セックスのことも含めて恋バナをする人もいるようで、母親の話を出すだけで「マザコン」扱いされるがために、不必要に母親と距離をおいた男子が多かったワタクシたちの世代からすると、宇宙人の話を聞いているような気すらします。

 でもだからといって、「マザコン」のように母親に依存しているワケではなく、母親も子離れができていないワケではなく、フラットで対等な関係でいながら仲がいいということのようです。

 「さとり世代」の母親はバブル世代に当たる人が多いということで、割と華やかで気が若い人が多いようで、「ママっ子男子」にとって、ファッションだったり恋愛だったりのアドバイザー的に求めているところがあるようです。

 まあ、やたらと反抗するよりは、よっぽどいいことですよね…

 

女子力男子/原田曜平

 

女子力男子 ~女子力を身につけた男子が新しい市場を創り出す

女子力男子 ~女子力を身につけた男子が新しい市場を創り出す

 

 

 『ヤンキー経済』を始めとして、新たな消費トレンドを紹介することで知られる原田さんの今回のテーマは「女子力男子」なんだそうです。

 最近、中2のムスメから、バリバリの体育会系である野球部男子たちもハンドクリームを使うのがフツーだと聞いて、50歳代目前のオジさんは心底オドロいたのですが、それどころではないようです。

 速水もこみちさんのようにシェフ顔負けの料理の腕を持つ男子だったり、化粧ポーチを持つ男子だったり、カタチがかわいいからということでレディースのパンツを愛用する男子だったり…

 まあ過度に「男性」性を求められなくなったということはいいことだと、個人的には思うのですが、ちょっとオジさんついていけないところがあります。

 でもだからといってゲイとかとは違って、恋愛対象は女性であり、オンナの子にモテるための手段として「女子力」を高めようとする男子もいるということのようです。

 最後に「マーケッター」原田さんが、こういう「女子力男子」のニーズを満たす商品やサービスがまだまだ未整備だということで、かなり大きな市場が眠っているといった、本業に立ち戻った提言をされています。

 まあ、個人的には暑苦しくて無神経なイカツイ男子よりも好感は持てる気がするのですが…

 

さとり世代/原田曜平

 

 

 『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体 (幻冬舎新書)』で知られる原田さんが「さとり世代」の若者たちと対談をして、そのライフスタイルに迫ります。

 以前、牛窪さんの著書でも紹介しましたが、「さとり世代」と言うのは、大体「ゆとり世代」と言われるゆとり教育を受けた世代に当たるのですが、この世代の人たちって、周囲からの同調圧力がハンパなく強いようで、目立つと非難されるということもあって、周囲から浮かないことを第一義にすることもあって、そんなに派手な消費をする志向しているワケではないのですが、「つながる」ための消費にはおカネを惜しまないということもあって、バカにできない市場規模ではあるようです。

 最後に、真逆の消費性向を持つバブル世代との対談で、さとり世代がドン引きする様子にウケたのですが、バブル世代の末期に属しながら、どっちかというと「さとり」的な性向があると思っていたワタクシですが、やっぱりそこまで周りに気を遣えないなあ、という部分は、やっぱりバブル世代なのかも知れません。