1985年の無条件降伏/岡本勉

 

1985年の無条件降伏 プラザ合意とバブル (光文社新書)

1985年の無条件降伏 プラザ合意とバブル (光文社新書)

 

 

 “無条件降伏”というと太平洋戦争時のポツダム宣言受諾に伴う終戦につながる降伏のことを指しますが、1985年のプラザ合意の受入れをポツダム宣言の受諾になぞらえて“無条件降伏”と言ってもいい程のインパクトがあったということで、この本ではプラザ合意からアベノミクスに至るまでの日本経済への影響を語られます。

 1970年代末期から“ジャパン・アズ・ナンバーワン”と言われて、戦後復興から経済発展を世界中から称賛されていましたが、実勢と比較して著しい円安状態を“悪用”しているということで欧米諸国から非難を浴び、孤立しつつあった日本は当時のG5の協調政策の一環として、1985年に円高誘導を容認するプラザ合意を受け入れます。

 ある程度の円高は欧米との融和に仕方なかったとはいうものの、当時の政府首脳はその後も円高を歓迎する姿勢を見せ続け、プラザ合意以前は1ドル240円だったレートがあっという間に200円を切り、こりゃマズい!と気付いた頃にはコントロールできないほどの円高の勢いになってしまって、深刻な円高不況を招きます。

 その対策としての超低金利政策かバブルを招き、一旦円高の痛みを忘れますが、アッという間にバブルは弾け「失われた20年」の上に、東日本大震災も重なって、日本の世界経済における存在感は見る影もなくなってしまったということです。

 曲がりなりにもアベノミクスで多少の落ち着きを見せているように思えるモノの、それ以上の勢いは感じられないままです。

 あの当時の指導者が、ただただ欧米の顔色を窺うだけではなく、長期的な戦略を持ってプラザ合意後の経済政策に臨んでいれば、と思うと悔やまれてなりません。

 ちなみにその時の“戦犯”は中曽根首相と竹下蔵相だということを覚えておいていいかもしれません。