最早社会学者というよりも、炎上王子としての方が通りがいいんじゃないかと思える古市さんが週刊新潮に連載されていたエッセイをまとめた本です。
前書きで、日本中がやたらと怒りっぽいということを指摘されていますが、この本が出版されたのが2019年4月なのですが、現時点ではもっと怒りっぽい状態になっているでしょうしねぇ…
ご自身も炎上を繰り返していることもあり、社会学者として炎上に加担する人々の”想い”を分析されていたりするのですが、まあ、明確に地雷を踏みに行ってますよね!?とある程度プレーンなスタンスで読んでいても、そう思う所は置いておいて、一番興味深いなぁ、と思った分析が、炎上に加担する人々が、炎上しそうなことについて、レフェリー的なスタンスを取ろうとするということです。
レフェリー的なスタンスなんで、当然炎上しそうな事象についてキビシいジャッジを下すことに躊躇はありませんし、むしろそういうジャッジを下して、そういう自分の”ジャッジ”を世間にアピールすることに快感を覚えるであろうことは容易に想像できます。
それどころか、レフェリー的なポジショニングをすることで、ある意味安全地帯にシフトするといった意味合いもあるようで、二重にも三重にも”炎上”に加担するインセンティブがあることを指摘されています。
そういう”深い”示唆もそこかしこに散りばめておられて、かなり興味深い指摘が多い反面、そういうくだらない混ぜっ返しを敢えてしなくてもいいんじゃない!?と思えるところもあって、賢明なのか愚かなのか、未だ測りかねるところがあります…