作家新田次郎さんのご子息であり、『国家と品格』の著者としても知られる数学者の藤原正彦さんが”国家”と”品格”の関わりについて語られます。
昨今では会社に入ってくる大学卒の新入社員の教養レベルがあまりにも散々たるものであることから、財界から大学にもうちょっと教養を身に付けさせるようにクレームが入ったとかいいますが、最近では国家戦略としてもうちょっと国民の教養レベルを何とかしないとヤバいということで、多少チカラを入れようとしているとかしないとか…
そもそも"国家"が国民の教養レベルなんて知ったことか、と思うのがフツーになっているのかも知れませんが、そもそもそれなりの教養レベルを備えた国民をある程度揃えておかないと、たちどころに周辺の強大な勢力に蹂躙されてしまうリスクがあったということで、国家にとっても国民の教養レベルは重要な関心事だったことを指摘されています。
それ以前に、個々の国民レベルにおいてもそれなりの教養を備えていないということは、その時点で奴隷として”使われる”立場になることを意味しており、それなりの意識のある人にとっては死活問題だったということです。
それが民主主義の普及に従い、国民の均一化が図られることと、やたらめったら侵略をするようなことがなくなったことから、突出した教養をと言うモノがあまり必要とされなくなったという側面があるようです。
ただ、とは言いながらそれなりに国力に影響するところがあり、戦後、アメリカの庇護下でモノを考えることが少なくなってしまっていた日本人はアメリカにいいようにつけ込まれて利用されている状態だということです。
とは言いながらも、明治~昭和初期のように西欧からの”教養”を持ってくるだけでは道を誤ると言った側面もあり、やはり自分でモノをちゃんと考えるチカラを保っておかないと、いざという時にヒドイ目に合いかねないのは、東日本大震災時や昨今のコロナ禍における日本政府の対応を見ていると痛感せざるを得ません。
個々の国民の教養は、意外と国家の繁栄と密接な関連があるようです…