先生と私/佐藤優

 

 

 ”知の怪人”佐藤優さんは、実は何気に数多くの自伝的な著書を書かれていて、高校時代のソ連・東欧への紀行を描いた『十五の夏』、大学時代を描いた『同志社大学神学部』、外務省から語学研修のためイギリスに派遣されていた時期のことを取り上げた『紳士協定 私のイギリス物語』をこれまでこのブログでも紹介してきましたが、この本は生まれてから高校に入学するまでを紹介されています。

 

 この本を手に取ったのは佐藤さんが先日紹介した香山リカさんとの対談本『不条理を生きるチカラ』の中で、読書を熱心にするようになったキッカケの経緯に触れられているとおっしゃられていたからなのですが、佐藤さんが高校受験のために通われていた塾で出会った国語の先生が受験向けの指導に並行して読書についての指導をされていたということです。

 

 しかもその読書というのが、サルトルだったりカミュだったりと、おそらく昨今の中学生だけじゃなくオトナですらほとんどの人はまず読まないであろう、相当難解な本を取り上げられており、そういう哲学的な本の読み方を指導することで、人間としての教養の幅を広げるようにということなんだそうです。

 

 佐藤さんご自身はそういう授業にハマったが故に読書に耽溺して行ったと共に、そればかりで受験勉強を疎かにしていると言われることを嫌って受験勉強にもチカラを入れて行ったということですが、多くの塾生にとってはそういう教養的な授業は余計なことだとされ、そのことからかその先生が塾を去ることになるのですが、こういう風潮は現代に至っては議論すら起こらないくらい当たり前なことで、中学生のみならず多くの「勉強」において教養的な読書などは顧みられることは無い状況です。

 

 ただ、おそらく現在の佐藤さんの幅広く深遠な知識と教養を培ったのは、受験向けの勉強ではなく教養としての読書なはずで、短視眼的な受験向けの学習にしか目が向けられない状況というのは、日本人全体の教養レベルに取って相当危機的な状況であるだろうし、だからこそ佐藤さんが再三そういう状況に警鐘を鳴らされているんだと思われます。