日本ノンフィクション史/武田徹

 

 

 ご自身もノンフィクション・ライターとして活躍されている方が語る日本におけるノンフィクションの歴史です。

 

 ノンフィクションというジャンルが出現したのは戦後も少し落ち着いたことだったようで、ノンフィクションというコトバが初めて出現するのは1949年の週刊朝日だということです。

 

 それ以前にもフランス語からきたルポルタージュというノンフィクションの一形態とも言えるコトバもあり、1960~70年代はそれなりの広がりを見せていて、沢木耕太郎もデビュー当初はルポ・ライターを自称されていたと記憶しています。

 

 何と言っても日本のノンフィクションの草分けと言えば、ノンフィクション最大の賞にその名が残る大宅壮一で、ノンフィクションというコトバを普及させたのも大宅壮一で、多くのノンフィクションライターを見出して育てたのも彼だったということで、彼がいなければ、こういうジャンルが普及していなかったかもしれません。

 

 ノンフィクションというのは事実という素材に基づいて作成するものだということもあって、当初は文章だったのが映像も加わったりということと、事実を素材にするということでジャーナリストからのアプローチがあったり、文章で事実を語るということもあって、開高健などの文壇からのアプローチもあったり、また映像が表現手段に加わってからは映画やテレビの世界があったりと、異様に間口が広かったということもあって、玉石混交という所もあったワケですが、次第に洗練と修練が進んで行ったようです。

 

 そんな中で記録性と芸術性のせめぎ合いということがいつもテーマになり、時には芸術性に傾き過ぎたが故に事実とは異なることを書いてしまい、筆禍事件となることもあったようですが、アメリカでのニュージャーナリズムからの影響を受け、沢木耕太郎という才能を得て、両者を両立させようという試みも進み、一定のジャンルとして確立して行ったという側面もあるようです。

 

 ただ、著者である武田さんは日本におけるノンフィクションは多少芸術性に傾く傾向が強く、記録としての価値が欧米のノンフィクションと比較して一段低いモノとなってしまうことについての苦言を呈されていて、今後そういう側面での向上が望まれるのかも知れません。

 

 いずれにせよ、日本におけるノンフィクションをここまで体系的に扱った本というのは貴重で、非常にエキサイティングなモノでした。