愛と狂瀾のメリークリスマス/堀井憲一郎

 

 

 サブタイトルにあるように、それほどキリスト教の信者数が増えない日本において、なぜこれだけクリスマスだけが通俗的に受け入れらたのかということを歴史的な経緯を踏まえて語られた本です。

 

 「歴史的な経緯」には、フランシスコ・ザビエルによるキリスト教伝来から語り始められ、戦後の描写を除けば、日本におけるキリスト教布教史とも言える内容となっており、バブル期以降のクリスマスの通俗的な内容との落差が逆に興味深いとも言える大叙事詩となっています。

 

 この本によるとイエズス会はかなり本気でキリスト教の布教を足掛かりにした日本征服を目論んでいたということで、とかく評判のよくない”鎖国”は日本を守ったという結果だけ見ると大きな意義があったということに触れられています。

 

 その後、開国~明治維新以後のキリスト教の受容に向けた動きが最も興味深かったところなのですが、できれば明治政府としてはキリスト教は禁止にしたままにしたかったようなのですが、欧米列強の手前認めざるを得ないという側面はあったものの、積極的に認めるつもりは全くなかったようで、解禁の布令は皆無だったということで、なし崩し的に実は禁令は解いていました、ということだったようです。

 

 そんな中で、ポーズだけでもキリスト教を受け入れているようなカタチを取らざる得ず、ひねり出されたのが宗教的な要素を可能な限り排除した上で、そう見えるようにするためにクリスマスの祭礼だけを取り入れることなんだったようです。

 

 ということでお祭り好きの国民が、政府の期待に応えたのかどうなのか、どんちゃん騒ぎ的なところだけを楽しむようになったのが、現在に至るまで続いているということのようですが、その景気が日露戦争の勝利だったということも興味深い所です。

 

 その後、戦後の混乱期のヤケクソ的な大騒ぎから、高度経済成長期のホームクリスマス、バブル期のカップルによる楽しみなど、日本独自の楽しみ方も進化して、すっかり土着的なイベントとなった経緯が、自分の経験も相まって非常にナットク感のあるモノとなっています。

 

 まぁ、こういういいとこ取りが日本人の骨頂なんでしょうけどね…