以前、日本のポピュラー音楽史におけるサザンオールスターズの革新性を語られた『サザンオールスターズ1978-1985』をこのブログで紹介しましたが、この本はサザンオールスターズでの活動に限らず発揮されてきた桑田佳祐さんの才能を、その歌詞を中心に語られたモノです。
サザンオールスターズ、桑田佳祐さんのソロも含めて、桑田さん自身が『やっぱりただの歌詞じゃねえか、こんなもん』などの著書で自虐的に語られていることもあって、あまり注目されてこなかったと思うのですが、音楽の革新性と比較して語られることが少ないながらも、この本ではその歌詞も日本のロック史において、目覚ましい貢献をされてきたことを指摘されています。
今となっては信じられないかもしれないのですが、ワタクシより少し上の世代では、「日本語でロックをすべきなのか!?」という議論がかなり激しく行われていたということで、中には日本のアーティストでありながら全編英語詞というバンドもあったということで、いかにして日本語をロックのリズムに乗せるのか、というのは重要なテーマだった時代があったということです。
そんな中で衝撃的なデビューを果たしたのがサザンオールスターズということで、冷静に歌詞だけ読むと意味不明なモノながらも、どっぷりと洋楽の洗礼に浸かった桑田さんが、いかに洋楽っぽく響くかということを主眼において紡ぎだすコトバは、当時としてはかなり斬新に響いたということです。(当時のワタクシはそんなことを意識することすらありませんでしたが…)
その後、そういう日本語をロックのサウンドに自然に乗せるという次元から、徐々に進化を遂げ、デビュー当初も、コミック的なナンセンスソングやエロティックな表現、せつないバラードなどそれなりにバラエティに富んだ表現領域を誇っていたのですが、次第に社会の矛盾や、人生観、死生観までも語られるようになったことは、桑田さんが日本のポピュラー音楽の地平を広げることをけん引されてきた軌跡なんだと思うと、同時代を生きて、桑田さんの音楽に触れ、さらにはナマで体験できたことの僥倖をありがたがらずにはおられません。