文芸評論家の斎藤美奈子さんが明治以降の文学から「男と女」を読み解くといった趣向の本です。
純文学というと取っつきにくいというか、辛気臭いというか、そういうイメージを持って敬遠する人が、ワタクシを含めて少なくないんじゃないかと思いますが、実はかなり下世話な人間関係がモチーフになっていることが多く、実はあんまり我々の日常生活に感じていることと差がなかったりするじゃないか!?とこの本を読んでいると感じます。
近代日本文学、特に青春文学においては王道のパターンがあると指摘されていて、それが「告白できない男たち」と「死に急ぐ女たち」なんだそうです。
この本では夏目漱石の『三四郎』、森鴎外の『青年』、武者小路実篤の『友情』などを例にとって紹介されていますが、共通して、恋愛に関してかなり独りよがりで、イミフでジコチューだと指摘されていて、勝手に自分の中でゴチャゴチャ思い悩んでいるうちに、相手の女性を他の男性にかっさらわれるというパターンで、そこ告白しとけよ!というケースが多々見られるということで、そういうのって今の恋愛偏差値の低い男子にありがちだと思いませんか!?
それに引き比べて女性は、当時まだまだ女性の社会的地位が低かったということもあって、色んな制約がある中で自分にとって一番有利な結論を導くべく想像よりもずっとしたたかに立ち回っていたことをうかがわせます。
ただ、そういう「したたかさ」がある意味反発を招きかねないという懸念からか、多くのヒロインが作者に途中で悲劇的なカタチで「殺され」てしまうというのが多くみられるパターンのようです。
まあ、こういう下世話な視点から見てみると、純文学も「そういうもんか!?」と思わないでもないですが、ワタクシ自身の恋愛偏差値もホメられたモノではないので、そういう不器用男子の様子を見ていたら、いたたまれないキモチになりそうで、やっぱりあんまり読む気にはならないかな!?(笑)