世界史とは何か/小川幸司

 

 

 2022年度から高校のカリキュラムで「歴史総合」が始めることを受けて、出版が始まった岩波新書の「歴史総合を学ぶ」シリーズですが、これまで第一弾の『世界史の考え方』、第二弾『歴史像を伝える』をこのブログでも取り上げたのですが、いずれも周りクドいというか、重箱のスミをツツくというは、やたら細かくて全体的に何を言っているのかよくわからず、こんな人たちがプランニングした強化を学ばされる高校生たちに深く同情した次第ですが、これまでの不評を反省したのか、今回はそれなりに意義のある歴史論となっています。

 

 冒頭で、松本サリン事件について語られていて、被害者であった河野さんが誤認逮捕されて、結局オウム真理教がやったことが認められ、河野さんが釈放されるまでかなりの期間を要したワケですが、ひょっとすると河野さんが「犯人」とされたまま歴史となるリスクもあったワケで、日々の生活が歴史を織りなす中で、歴史を語るコワさみたいなものを、著者が松本深志高校で高校生たち(その中に河野さんのお嬢さんもいたそうですが…)と議論したことを紹介されています。

 

 歴史というのは結局「勝者」が自分たちが後世の人たちにどう見られたいか!?というご都合主義的な語られ方をするというのは、ちょっと歴史に興味を持った人なら認識していると思うのですが、高校生ぐらいの年代でそういう思考を持っている人というのは少ないと思われ、歴史が「暗記科目」となってしまうと、ご都合主義的な歴史が絶対的な真実として認識されるリスクが極めて高くなるということです。

 

 ということで、歴史に対して一定の懐疑的な視点と、多面的に捉えることで少しでも「真実」に近づこうとする姿勢を持ってもらうということは意義深いことだと思えます…ただ、教えるセンセイ方は大変やろうなぁ…