坐らぬ禅/ひろさちや

 

 

 仏教の考え方に基づく癒し系の著作で知られるひろさちやさんは昨年10月にお亡くなりになられたそうで、その遺稿をまとめた本だということです。

 

 ひろさちやさん自身、禅の考え方には影響を受けているモノの座禅自体がお好きではなかったということで、そのコンセプトみたいなものを探るという趣旨です。

 

 冒頭で「馬鹿」になるのではなく「阿呆」になれ、ということで、どっちも一緒やん!?と思ってしまいますが、「馬鹿」というのは「思うがままにならないこと」を思うがままにしようとすること、なんだそうで、多くの人が「馬鹿」になっているということです。

 

 そうじゃなくて、仕方がないことは仕方がないとして甘んじて受け入れるというのが「阿呆」なんだそうで、禅というのは「阿呆」になろうというのがコンセプトのようで、禅の偉大な僧侶たちが、如何にしてあるがままを受け入れてきたかということを紹介されています。

 

 日本における代表的な禅宗である曹洞宗の開祖・道元によると元々あらゆるものは仏性を持っているにも関わらず、なぜ仏になろうと修行をするのか、という疑問を抱かれたということで、逆説的ではありますが、あるがままを受けれるためにはそれなりの覚悟みたいなものが必要なように感じられます。

 

 確かに現代を生きる我々は世間体や虚栄心という夾雑物でがんじがらめになって、なかなかありのままを受け入れるというのは難しいと思うのですが、そうなればラクだとうなぁ、と思いつつ、なかなかソッチへ行けないというのは、俗物の証なのかもしれませんねぇ…(笑)