古文書はいかに歴史を描くのか/白水智

 

 

 磯田センセイが『殿、利息でござる』の原作である『無私の日本人』などの著書で古文書の読み解きについて触れられることがあるのですが、この本は江戸時代の研究を専門にされる方が、古文書の探索などのフィールドワークそのものにフォーカスした内容の本です。

 

 日本史の世界では、社会学などと比較するとフィールドワークを行うことは少ないということなのですが、それでも古文書そのものを見るだけではなく、古文書が保管されている状況も含めて現場を見ることによって、古文書だけではわからない情報を得られることもあって、今後、フィールドワークに取組む若手の研究者が出てくることの期待も含めてなのか、こういう本を書かれたようです。

 

 江戸時代は、庄屋などの富農が納税や調停といった行政の一端を担うことがあったということで、旧家で万の単位の古文書が発見されることもあるということで、著者である白水さんは折に触れて、長野県や山梨県を中心に古文書を探索されているということです。

 

 単純に古文書そのもので保存されているだけでなく、不要な紙として襖や障子に使われていることがあったり、裃や袴に縫い込まれていることすらあるそうで、そういうところに使われている古文書にも重要な情報が含まれていることもあるということです。

 

 往々にして保有されている方もその重要性を認識していないことも多く、また伝統的な旧家の方は古文書の調査を受け入れることに消極的だったりすることもあって、知らないうちに重要な古文書が処分されたり、散逸したりすることが多いようで、特に地方大学の研究者に古文書のフィールドワークのノウハウを持つ研究者を育てて、行政と連携してそういう古文書の保全を図るようにすることの重要性を強調されています。

 

 また、そういう古文書を契機に、地域の文化の啓蒙なども図られていて、そういう意味でも行政が古文書の保全を図る意義があるようで、財政的に限りはあるとはいえ、積極的に取組んでもらいたいものだと感じます。

 

 まあ、旧家との古文書調査の交渉などメンドーなことも少なからずあるようですが、考古学者になることも考えたことがあるワタクシとしては、かなり羨ましく、ワクワクしながら読了した次第です…(笑)