開高健の本棚/開高健

 

 

 開高健さん名義の本は1989年の没後も断続的に出版されていて、玉石混交だったりはするのですが、2021年出版のこの本は開高さんの本棚ということで、読者としての開高さんと、作家としての開高さん、批評家としての開高さんのそれぞれの側面をあぶり出すという、なかなかの企画なんじゃないかということで手に取ってみました。

 

 佐藤優さんや齋藤孝さん、茂木健一郎さんなど名だたる知性が小説を自分事として読むようにすることで教養を高めることを推奨されていますが、戦中戦後の若い世代は日々生きるか死ぬかという状況の中で本を読むことが、ある意味切実な自己同一化といった側面があったようで、開高さんも冒頭で取り上げられているエッセイで「この頃の読書は上に出会ったり、人に殴られたりするのと同じような、ほとんど肉体的といってよいような経験であった。」とおっしゃっておられます。

 

 ワタクシ自身も大学入学当初の多感な時期に開高さんの著書にハマって、そういうカラダで読むような体験を、開高さんの著作を通して経験していて、未だに開高さんの著書を読む時には、ちょっとした緊張感を強いられます。

 

 そんな中で開高さんは当時に繰り返し読んだサルトルの『嘔吐』を無人島に持っていきたい本として挙げられており、何度も何度も読み続けても、それでもまたにじみ出てくるものがあるのでしょう…

 

 開高さんが自伝的な著書の中でこの頃の読書について”字毒”というコトバを使って、本を読むことの中毒的な側面を語られていますが、こういうご経験を見るにつけ、実感できる気がします。

 

 後半では開高さんの作家としての側面を著作の中で語られていることから抽出されていますが、絢爛な語彙を駆使して語られることで知られる開高さんですが、ホンの一言のもたらす効用を目指されていて、一言半句のキラメキがもたらせればそれ以上に求めるモノはないといったことをおっしゃられています。

 

 批評家としての側面ですが、長く芥川賞の審査員を務めていたことでも知られますが、この本では開高さんが文学に目覚めた頃からの同志である、谷沢永一さん、向井敏さんとの対談が収められているところが開高ファンとしてシビレるところで、この本の価値をグンと高めているように思えます。

 

 久しぶりに開高さんの本を読みましたが、未だにピンと張りつめた緊張感を感じて、懐かしさと共に、久々に緊張感のある読書を思い出しました。