タモリと戦後ニッポン/近藤正高

 

 

 2014年3月末に、31年間続いた『笑っていいとも!』の放送が終了するのを期にしてだと思われる、タモリさんの評伝を通して戦後ニッポンを語るといった趣旨の本です。

 

 これまでもこのブログで『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』などタモリさんを取り上げた本を紹介してきましたが、この本ではタモリさんをコメディアン目線で見るのではなく、プレーンに経歴を辿ることによって、お笑いにとどまらない、サブカル、アングラみたいなところからアカデミックなところまで含めて、かなりカバーする範囲が広くなるということもあって、こういう大風呂敷なタイトルになったのかな!?という気がします。

 

 『笑っていいとも!』以降にタモリさんを知った若い層なんかだと『ブラタモリ』などの博識なタモリさんしか知らずに、文化人的なとらえ方をしているかもしれず、おおよそお昼にはそぐわないアヤシげなコメディアンだったなんて想像もつかないかもしれません。

 

 お笑いビッグ3の一人とされながら、そもそもコメディアンだったかどうかも定かとは言えないようなところもあり、ビートたけしさんや明石家さんまさんのように師匠についてい修行をした経験もなく、内輪ウケのギャグが当時最もヒップだった山下洋輔トリオなどのジャズメンたちに大ウケしたことで、次第に文化人たちに知られるようになり、マンガ家の赤塚不二夫さんに招かれて上京して、赤塚不二夫さんのマンションに居候しているうちに、知る人ぞ知るオモシロいヤツから次第にポピュラリティを得ていく過程を紹介されています。

 

 タモリさんによると、自分からこういう仕事をしたいとガツガツしたワケもなく、周囲に求められるままに、それに対応しているうちにこんなところまで来てしまった、ということをおっしゃっていますが、それに応えていくだけの柔軟性と多才さがあったことは確かなんだと思います。

 

 お笑い的な観点で言うとタモリさんやビートたけしさんなど、漫才ブーム以前と比べると比較的知的なコメディアンが台頭してくるようになったのは、大学の進学率も上がったこともあって、笑いにも知的なフレーバーを求めるという傾向が高まったと指摘されていることは興味深いところです。

 

 先ごろ、長らく続いた『タモリ倶楽部』も終了し、いよいよ「老後」モードなのかもしれませんが、まだまだ知的な笑いを提供してもらいたいところです。