聖徳太子 七の暗号/宮元健次

 

 

 聖徳太子と言えば、あれだけの事績を残しながら、どこか暗い影を拭いきれないのは、結局天皇に即位しなかったとか、その後後継者の山背大兄王蘇我入鹿に謀殺されるといったこともあるのでしょうけど、この本では聖徳太子ご自身が生前抱かれていたのではないかという懊悩について、その経歴から指摘されたもので、その懊悩が「七の暗号」に隠されているということを語られたモノです。

 

 結論から言うと、聖徳太子は生涯、蘇我馬子に同調して物部守屋を死に追いやったことについて苦しみ続けたようで、実際にそういう内容の書簡も見つかっていて、その懊悩が聖徳太子を夫人を伴った自死に追いやったという説もあるようです。

 

 大宰府に左遷された菅原道真の怨念がよく知られているように、一時期までの日本では非業の死を遂げた人の怨念は災厄をもたらすと考えられていたということで、物部守屋の怨念もそれなりの災厄をもたらしたと信じられていて、政敵だった蘇我馬子も氏寺の飛鳥寺では鎮魂の五重塔を建築するなど、厄払い的なことをしていたようですが、物部守屋を死に追いやった丁未の乱に参戦したとき、聖徳太子はわずか16歳の多感な時期であり、かつ仏教の敬虔な信者だったといわれる聖徳太子としては、仏教最大のタブーである「五戒」の一つ「不殺生戒」を犯してしまった後悔は、方便で仏教を利用していた蘇我馬子とは異なり、生涯の呵責となったことは想像に難くありません。

 

 そういう聖徳太子が創建した「太子七か寺」と言われる

  法隆寺

  四天王寺

  中宮寺

  橘寺

  広隆寺

  法起寺

  葛木字

に見られる物部守屋鎮魂と解される個所について紹介されています。

 

 昔読んだ梅原猛の『隠された十字架』でも法隆寺に込められた怨念的なことが紹介されていましたが、あれは再建後のことをおっしゃれているようで、この本で紹介されているものは聖徳太子自身の苦悩だということで、やはり悲しげな影が拭いきれないようです…