新解釈親鸞と歎異抄/島田裕巳

 

 

 以前、2012年出版の『ほんとうの親鸞』を紹介しましたが、こちらは最新の研究成果を盛り込んで、昨年(2023年)出版されたものだということです。

 

 かつては、「親鸞抹殺説」がまことしやかに語られるなど、その存在自体が疑問視されるほど、その動静が伺いにくい親鸞ですが、妻である覚信尼との書簡の交換が確認されるなど、存在自体は間違いないことが確認されてはいるものの、それでも未だナゾの部分が相当多いということで、ナゾはナゾとして親鸞の道程を辿ろうとされています。

 

 そのわかりにくさの一因としてこの本で紹介されているのが、親鸞の信仰についての幅の広さで、特に印象的なのが晩年聖徳太子に傾倒していたことです。

 

 聖徳太子と縁深い善光寺や六角堂と親鸞も関連があるということですが、親鸞自身、聖徳太子が当時拠っていたとされる法華経については、膨大な経典の研究で知られる『教行信証』でもほとんど言及されていないなど、あまり関心がなかったようですが、どちらかというと法華経は政治哲学的に扱われていたことを考えると、親鸞法華経自体に興味がないのは自然なのかな、と思えますし、どちらかというと聖徳太子の民衆に対峙する姿勢みたいなモノに共感を覚えたんではないかという指摘にはナットク感があります。

 

 師匠筋だったとされる法然とはその理念が異なるので、論理の一貫性を歴史上の人物に求めたたがる傾向の強い歴史研究の姿勢からすると、親鸞の「雑食性」みたいなものは理解しがたいのかもしれませんが、「救済」というキーワードをあてはめるとスッと理解できるのではないか、という感じで、そういうこだわらない姿勢に却って興味をそそられました。