「カッコいい」とは何か/平野啓一郎

 

 

 昨日に引き続き芥川賞作家平野啓一郎さんの評論的な著作ですが、今回のテーマは「カッコいい」です。

 

 「カッコいい」と一口に言いますが、そのコトバがどういう状態のモノを指しているのかということをキッチリ意識している人って、あんまり多くないじゃないかということで、500ページ弱にもわたる膨大なボリュームで「カッコいい」を語られています。

 

 平野さん自身、ジャズやロックといったサブカル的なモノにも造詣が深いようで、特に「ジャズの帝王」マイルス・デイヴィスに深く傾倒されているということで、再三マイルスのカッコよさについてのトピックも登場するところが個人的にはツボでした。

 

 ミュージシャンやスポーツ選手など色んな人やモノに対して「カッコいい」というコトバで表現するワケですが、元々は見た目の良さについての表現だったモノが次第に「生き様がカッコいい」といったように内面に関わる部分まで使われるようになっていると指摘されているのが興味深いところです。

 

 ただ、ヒューゴ・ボスがデザインしたナチス親衛隊の制服を見て、「カッコいい」と思うのに対し、大量虐殺といった残虐行為をしたものに対して「カッコいい」とは何だ!?という倫理観との折り合いについて考察されるところも興味深いところです。

 

 また、「カッコいい」に対応する概念として「かわいい」についても触れられていて、どちらも外見の良さを表現したという共通点がありながら、片や「カッコいい」には戦闘的な意味あいが含まれることがあるのに対し、「かわいい」にはそういう要素が皆無だとされているところに深くナットクする部分があり、より「カッコいい」の意味合いが際立っている気がするのに加え、従来女性への誉めコトバとしては「かわいい」が一般的だったのに対し、次第に「カッコいい」という誉めコトバをうれしく思う女性が増えていっていることが興味深いところです。

 

 では「カッコいい」と感じる要素な何なのかということについても分析されているのですが、ハードロックにも傾倒してきた平野さんらしく、「シビレる」体験こそが「カッコいい」の源泉だというのが、最もふさわしいような気がするのは、「カッコいい」というのはリクツじゃない、ということの証左のような気がします。

 

 それにしても、「カッコいい」というコトバについてということにフォーカスしてこれだけのボリュームと興味深い分析を連ねることができるというところに、コトバのプロってスゴい、とただただ驚嘆しかありません…