私とは何か/平野啓一郎

 

 

 1999年に当時最年少の23歳で、デビュー作『日蝕』で芥川賞を受賞されて話題をまいた作家の平野啓一郎さんが、「私」について語られた本です。

 

 ひと頃、若い年代の「自分探し」が取りざたされた時期がありましたが、そういう場合の「私」というのが、確固たる不変の「私らしさ」みたいなものを追い求める傾向が強いんじゃないかということを、平野さんはこの本の中で指摘されていて、そういうモンじゃないじゃないか!?ということで、一人の人格の中に様々なパーソナリティが内包されている「分人」という概念を提唱されています。

 

 確かに、家族と接する自分と、社会人として会社で同僚として接する自分というのは明らかにキャラが違うはずで、そういうそれぞれの場面や接する相手によってパーソナリティの使い分けをすることがオトナと言えるんじゃないかとワタクシも思うのですが、「自分探し」をする若い年代の人たちを、それを「汚い」とか「アンフェア」なモノだとすることもあるかもしれません。

 

 ただ、そういう「純粋さ」みたいなものは、割と周囲からするとメンドくさいキャラだと受け取られることもあるような気もしますし、相手に合わせて臨機応変に自分の中に持ち合わせているキャラを取り出してくるのは、ある意味相手への配慮ともいえるとく側面もあり、社会生活を送る上で、できるだけ多くの「分人」を持つことが便利なんでしょうけど、うまくそれぞれのキャラと折り合いをつけられないと、「自分」をなくす「アイデンティティ・クライシス」みたいな状態にも陥りかねません。

 

 数少ない「分人」で多くの相手に対処できるキャラもあるようですが、あんまり自分にそぐわない人と付き合う際の「分人」のキャラを共通化させるなど、ある意味キャラ設定の整理も必要なのかもしれません…