高学歴親という病/成田奈緒子

 

 

 以前、iPS細胞の山中先生との対談本『山中教授、同級生の小児脳科学者と子育てを語る』を紹介した、山中先生の大学の同級生でもある小児脳科学者の成田奈緒子さんが、高学歴の親にありがちな子育ての問題点について紹介した本です。

 

 高学歴というか、かなり社会的に「立場」のあるとされる親の子どもが引きこもりになったり非行に走ったりというケースが見受けられるようですが、そういう親にありがちな子育てにおける問題として成田先生は「干渉・矛盾・溺愛」の3つのケースを挙げられています。

 

 そういう社会的なステータスが高い親は往々にして、自身のプライドが高いことも多く、それゆえの虚栄心みたいなモノもフツーの人と比べると高いことが多く、子どもに対しても多くを求めすぎてしまうことが多く、ハードルを上げ過ぎた結果、それをクリアできない子どもに厳しく当たったり、過干渉に陥ったりといった問題行動に及ぶことが多いようです。

 

 成田先生は子育ての在り方について、「心配」を「信頼」に変える旅だとおっしゃっておられますが、得てして高学歴親は、なかなか子どもを「信頼」することができずに自分が考えるレベルをクリアできないという「心配」ばかりが先に立つようです。

 

 やはり子どもを一定、自立させるためにはある程度子どもを「信頼」して任せることが重要なようで、親としても、仮に失敗しても、命の危険などといった差し迫ったモノではない限り、矯正したくなるのをガマンして子どもを見守るという姿勢が、長い目で見ると子どもの成長には必須のモノだということをアタマに留めておくことが非常に重要なこととなるようです。

 

 あくまでも子どもは親の「持ち物」ではなく、子ども自身の人生なのでそれを尊重する姿勢というのを持ちたいものです。

中流危機/NHKスペシャル取材班

 

 

 2022年9月に放送された『NHKスペシャル”中流危機”を越えて』の取材を元に、日本における「中流」の現状をまとめられた本です。

 

 かつて高度経済成長期には「一億総中流社会」と言われる世界史上でも稀に見る均質な社会だったワケですが、バブル崩壊から規制緩和による非正規労働の拡大を受けて、”中流”が様変わりした様子を追います。

 

 かつては、”中流”というと一軒家のマイホームや自家用車を保有してというイメージだったと思いますが、年収の中央値が1994年の505万円から2019年には374万円と100万円以上も下落したことで、かつての”中流”のイメージの生活がむしろゼータクに映るようにすらなっているようです。

 

 この本では、なぜそんな風になってしまったのか、ということを今後”中流”を取り戻すための方策について紹介されています。

 

 原因としてはやはりバブル崩壊以降、不良債権処理に追われた企業が活力を失い、コストカットによる利益確保に汲々とする中、派遣社員規制緩和に乗っかり非正規雇用を拡大させて、人材の育成を放棄してしまったことが大きな原因とされています。

 

 そんな中で、”中流”を取り戻すための方策については、やはり人材の育成を再度積極的に行うべきだということで、ドイツでの国家を挙げてのリスキリングの状況や、オランダにおける同一労働同一賃金の実現による女性の社会進出の促進の事例を紹介されています。

 

 中には日本におけるリスキリングの事例も紹介されているのですが、かなり限られた企業でのモノに過ぎず、多くの労働者は蚊帳の外に置かれているというのが現状であり、同一労働同一賃金についても、掛け声ばかりで実質的な取り組みは、リスキリング同様企業に丸投げの状況では、結局リソースの限られる中小企業にそんな余裕もなくて取り組みができないということであれば、7割以上の労働者は恩恵が享受できないということになるワケで、政府の無策ぶりがクローズアップされたカタチになっているのが悲しいところで、「失われた〇十年」は、あとどれくらい続くのか…と暗いキモチにさせられます。

日本の死角/現代ビジネス編

 

 

 『現代ビジネス』誌に掲載された記事の中で、日本についての「意外な」事実をアツかったモノを集めた本のようです。

 

 ネット上の記事で、この本に収録されているトピックの一つが紹介されていて、それが興味深く(それがどの記事だったのかは、もう忘れてしまいましたが…)、収録されているこの本も紹介されていたので、興味をそそられて手に取ってみたワケですが…

 

 従来から「集団主義」だとされてきた日本人が意外とジコチューだとか、日本人にも「結婚しない」層が確実に増加しているとか、といったモノが取り上げられています。

 

 個人的には、「自然災害大国の非難が『体育館生活』であることの大きな違和感」という弁護士の大前治さん執筆の記事で、あれだけ地震や水害などの災害で避難所を設ける機会があるにも関わらず、相変わらず避難所は体育館でザコ寝という数十年変わらぬ姿で、結果として災害関連死を多発させているにも関わらず、一向に反省するところが無いという状況について、自治体の関心が「ヒト」より「モノ」にあるからだという考察をされているところが、的を得ていて興味深いところで、日本の行政の冷たさというか貧困さというか、結局ほとんど住民のことを見ていないんだな、ということが、実はかなり「日本人」らしいと、ワタクシなどは感じるのですが…

 

 まあ、かなり広範なトピックが集められており、中には興味深いモノもアリ、どーでもいいやん!?と思わされるモノもありますが、ただ社会的なテーマに定評のある現代ビジネス誌としては、なかなかに安易なつくりが気になるところでアリ、講談社現代新書らしくないザツな企画だなぁ、というのが正直な感想です…

日本思想史新論/中野剛志

 

 

 最近お気に入りの中野剛志さんの著書ですが、これまで紹介してきた財政・金融政策のモノから離れて、近代日本の「思想史」がテーマだそうで、あとがきで専門外だと断られていますが、なかなかに興味深い視点からの考察が展開されます。

 

 まずは冒頭で、日本における最大の転換点として2度の「開国」について言及されていて、1度目は文字通り、鎖国からの開国を果たした幕末から明治維新期の「開国」で、二つ目は対米戦争の敗戦により社会変革を強いられたことを挙げられています。

 

 いずれも「閉じた社会」から「開いた社会」への変革という意味でも「開国」だということですが、権威主義的な気風から合理主義的な変革が図られたとされますが、ホントにそれまでの考え方が非合理だったのか!?ということで、敗戦後、狂信的な国粋主義へ導いた思想的な背景とされる尊王攘夷運動の思想的な背景を形成したと言われる水戸学のバックボーンとなった会沢正志斎の著書『新論』を中心に語られます。

 

 会沢正志斎は、朱子学が大勢を占めていた当時の日本の儒学界において、その合理主義的な傾向を非難して、孔子の『論語』に回帰すべきだとした伊藤仁斎荻生徂徠らの古学派からの流れを汲んでいるということで、反合理主義ではありながら徹底したプラグマティズムが根底に流れていたということで、『新論』においても当時の世界情勢のを踏まえた対応が強調されており、あくまでも現実的に列強の脅威にどのように対応するかという手段としての「尊王攘夷」だったということです。

 

 どうしても「尊王攘夷運動」というと歴史上において一部の狂信的な過激派の行動ばかりが強調されることが多いので、そういう「現実的」な側面は意外な気がしますが、実は正志斎の考え方は開明的なイメージのある福沢諭吉にも受け継がれていて、その思想と開国とも実は矛盾しないということで、かなり先進的な思想であったことがうかがえます。

 

 ただ、後年その思想のナショナリズム的な部分ばかりが強調されて、軍部の狂信的な一派の精神的バックボーンとされたことで、戦後は忌避されがちではありますが、ワタクシ自身、その思想の正否を語るほどの造詣はないので、評価的なことは言えませんが、実はかなりバランスの取れた考え方が幕末期に受け入れられてたということが、こういうカタチで脚光を当たることに、一定の意義があるような気がします。

睡眠障害/西野精治

 

 

 以前『スタンフォード式最高の睡眠』を紹介した、スタンフォード大学医学部精神科睡眠研究所の西野先生が睡眠障害について紹介した本です。

 

 この本では睡眠障害についてかなり網羅的に紹介されていて、ああいうのも睡眠障害の一種なんだ!?と思うようなモノも漏れなく紹介されています。

 

 個人的に一番ツボだったのが、むずむず脚症候群で、足が文字通りむずむずして眠れないというのを何度か経験したことがあったのですが、あれも睡眠障害で、ちゃんと病名もあるんだということに感心した次第です。

 

 睡眠障害というと不眠のことばかりが取りざたされますが、不眠というのは過眠と表裏一体で、不眠が過眠をもたらし、逆もまた真なりということなんだそうです。

 

 そういう睡眠障害をもたらすものを様々紹介されているワケですが、一番よく知られる睡眠時無呼吸症候群についても詳しく紹介されていて、あれはかなりヤバいらしく、そのケがあったら、速攻専門医にかかるべき深刻な症状だということです。

 

 それ以外にも、睡眠障害というのはかなり致命的なモノが多いということで、ただ眠れないということでは、なかなか専門医にかかるという行動につながらないことが多いようですが、早めにかからないとホントに命にかかわるケースもあるようで、ワタクシも結構不眠気味なので、それにまつわる本を数多く読んできたのですが、そこまでの警告をされている本は初めてだったので、ちょっと驚くとともに、多くの人がココロに留めておくべきことだと認識した次第でした。

 

 また、睡眠障害をもたらすモノについても様々紹介されているのですが、そんな中で俗説的なモノも指摘されていて、それも有用ですし、基本的には規則正しい生活が睡眠障害を防止/治療する上では望ましいワケですが、お仕事柄そういうワケにはいかない人にとっても、防止/治療の方法論が紹介されています。

 

 ということで、睡眠にはかなり色々深淵な世界をはらんでいるということで、ざっくりその全体像を知るのに格好の本だと思えます。

うらやましいボケかた/五木寛之

 

 

 また、作家の五木寛之さんの老後本ですが、こちらも先日紹介した『シン・養生論』同様、連載のエッセイをまとめた本だということですが、こちらは『週刊新潮』の連載「生き抜くヒント!」からなんだそうで、あちこちで連載をお持ちだという相変わらずの人気ぶりなワケですが、「ボケかた」についてのノウハウ本というワケでもないようで、それ以外のトピックの方がずっと多いのも同様です。

 

 五木さんも90歳の声を聴くということで、現役で執筆活動をされていても日々衰えを感じざるを得ないということで、そういった日常についても触れられていて、かつて執筆された親鸞に関して取材されたことを忘れてしまって苦い思いをされることもあるようです。

 

 また、それまでは執筆活動は深夜の方がはかどることが多いということで、つい最近まで昼夜逆転の生活をされていたということですが、コロナ禍を期に、意図したワケではないにも関わらず、朝7時に起きてウォーキングをして、その日のうちには就寝する生活になったということで、そういうことも老化と感じられて、当初は葛藤があったようですが、やはりあまりかつての状況に拘泥しないで、老いなら老いで一定受け止めることが健全なんじゃないかと感じられてもいるようです。

 

 頑固ジジイ的な方向性もあるのですが、周囲だけではなく意外と本人もシンドいところもあるでしょうから、できる限り状況を受け入れるようにはしたいモノです…

負けてたまるか!日本人/丹羽宇一郎、保阪正康

 

 

 伊藤忠商事の名経営者として名を馳せ、在中国全権大使も務められ、財界きっての読書家としても知られる丹羽宇一郎さんが、半藤一利サンと並んで昭和史の語り部として知られる保阪正康さんと、主に昭和史を通して「日本人」を語られた本です。

 

 「負けてたまるか!」と一見威勢のいい感じですが、大体全編を通して日本人のダメなところを語られている印象で、特に日中~太平洋戦争時に顕著なのですが、日本人って責任を取らないということを再三おっしゃっています。

 

 よく言われるように、同じ地位に複数名の人がいて責任をあいまいにするということもありますし、命令系統を複雑にして責任の所在があいまいになるようなこともあったようで、会社組織においては近年では欧米との付き合いもあって、それなりに責任の所在を明確にしたがる向きもありますが、政界などでは「責任を痛感しております」といいつつ何ら「責任を取」ったと思われるような行動をしない歴代総理大臣に顕著なように、あまり「責任」を取らないでもいいと思っているんじゃないかとすら思えてきます。

 

 さらには、元々鎖国の時期の影響もあって内向きになりがちな日本人の性向が、明治維新期や高度経済成長期など、ホンの一時期積極的に海外志向があったモノの、最近また内向きの志向を強めていて、そのことが日本人の均一化を進め、さらなる内向き志向につながって、若年層のバイタリティの低下にもつながっているんじゃないかと思わされます。

 

 ということで、特に若い人には海外での体験や読書によって、多くの体験を積むことを勧められており、そういう重層的な思考を身に着けることで、諸外国に対抗していかなければ、ということがあるようです。