日本思想史新論/中野剛志

 

 

 最近お気に入りの中野剛志さんの著書ですが、これまで紹介してきた財政・金融政策のモノから離れて、近代日本の「思想史」がテーマだそうで、あとがきで専門外だと断られていますが、なかなかに興味深い視点からの考察が展開されます。

 

 まずは冒頭で、日本における最大の転換点として2度の「開国」について言及されていて、1度目は文字通り、鎖国からの開国を果たした幕末から明治維新期の「開国」で、二つ目は対米戦争の敗戦により社会変革を強いられたことを挙げられています。

 

 いずれも「閉じた社会」から「開いた社会」への変革という意味でも「開国」だということですが、権威主義的な気風から合理主義的な変革が図られたとされますが、ホントにそれまでの考え方が非合理だったのか!?ということで、敗戦後、狂信的な国粋主義へ導いた思想的な背景とされる尊王攘夷運動の思想的な背景を形成したと言われる水戸学のバックボーンとなった会沢正志斎の著書『新論』を中心に語られます。

 

 会沢正志斎は、朱子学が大勢を占めていた当時の日本の儒学界において、その合理主義的な傾向を非難して、孔子の『論語』に回帰すべきだとした伊藤仁斎荻生徂徠らの古学派からの流れを汲んでいるということで、反合理主義ではありながら徹底したプラグマティズムが根底に流れていたということで、『新論』においても当時の世界情勢のを踏まえた対応が強調されており、あくまでも現実的に列強の脅威にどのように対応するかという手段としての「尊王攘夷」だったということです。

 

 どうしても「尊王攘夷運動」というと歴史上において一部の狂信的な過激派の行動ばかりが強調されることが多いので、そういう「現実的」な側面は意外な気がしますが、実は正志斎の考え方は開明的なイメージのある福沢諭吉にも受け継がれていて、その思想と開国とも実は矛盾しないということで、かなり先進的な思想であったことがうかがえます。

 

 ただ、後年その思想のナショナリズム的な部分ばかりが強調されて、軍部の狂信的な一派の精神的バックボーンとされたことで、戦後は忌避されがちではありますが、ワタクシ自身、その思想の正否を語るほどの造詣はないので、評価的なことは言えませんが、実はかなりバランスの取れた考え方が幕末期に受け入れられてたということが、こういうカタチで脚光を当たることに、一定の意義があるような気がします。