昨日に引き続き齋藤センセイの本ですが、こちらも”本職”の教育論に関するモノです。
この本は2016年に出版された本なのですが、2020年に予定されていた大学入試改革を控えていましたが、その中身としては、戦後の知識を重視する教育から思考力を重視する教育への転換を想定したモノで、日本の教育のあり方が根底から覆るほどのインパクトを持ったモノだと取り沙汰されていました。
確かに、ここまでネットが進展して、ただ”知って”いること自体にはさしたる価値が見出せなくなってきて、かつ価値観が多様化して来ていて、主体的に「生き抜く」ことの重要性が増していく中で、答えが無い、もしくは自ら問い続けていくことの重要性は増していっているのですが、ただ、よく言われているようなアクティブ・ラーニング的なアプローチに移行していけばいいんじゃないか、という風潮に齋藤センセイはギモンを投げかけられています。
というのも、文科省が教育の効果の指標として活用しているPISAでは、現時点でも、アクティブ・ラーニング的なアプローチを取り入れている諸国を凌駕しているという事実があり、これまでの教育制度が一定の成果を上げているという事実があるということを指摘されているところと、そういったアプローチでの教育を前面に取り入れることで、やたらと”声の大きな”キャラだったり、積極的なキャラの人ばかりが”有能”だとみなされてしまうことのリスクについても指摘されています。
モチロン、そういったアプローチを否定しているワケではないとおっしゃられていてて、実際に齋藤センセイのゼミでは、かなり先鋭的にそういうアプローチを取り入れられているようですが、そういうアプローチ自体、教える側に相当なスキルが必要とされる中で、実際に現場のセンセイ方が対応できるかと言うと、かなりギモンだということも指摘されています。
そういった中で、可能な範囲でアクティブ・ラーニング的なアプローチを取り入れながらも、従来的なアプローチの中で、”生き抜く力”を身に付けるのに役立つモノ…例えば、読書の中でも輪読的なモノを取り入れるなど、バランスをを取ったアプローチが取れないものか、ということを提唱されています。
個人的には、文科省の取ろうとしている施策は勇み足のように見えますし、齋藤センセイがおっしゃるバランス型のアプローチの方が、教える側としても学ぶ側としても戸惑いが少ない気がするのですが…