『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』が大きな話題をまいたブレイディみかこさんですが、この本は『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の中でブレイディさん自身が何気なく触れた「エンパシー」に意外な程の反響があったということで、それを受けて「エンパシー」について語られた『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の副読本的な位置づけのモノだということです。
なぜブレイディさんが何気なく触れた「エンパシー」がそれだけの反響があったかということなのですが、ブレイディさんが普段生活されている英国ではエンパシーについて熱心に教育されていて、かなりフツーの概念だということなのですが、日本ではエンパシーというのは、実はあまり馴染みがないからだということです。
エンパシーと似た概念にシンパシーがあって共に日本では「共感」と訳されることが多いのですが、実は似て非なる概念で、シンパシーはどちらかというと同情に近い概念で多少上から目線的なモノがあるようですが、シンパシーはプレーンに相手の立場を理解しようとするもので、日本人はシンパシーには長けているもののエンパシーはかなりニガテなように思えます。
そんな中で、グローバリズムの進展の中でゴリゴリ自分の論理を押し通そうとすることが生き残る道だとされる中で、コロナ禍を迎え、あまりに各国の首脳があまりにエンパシーに欠けた対応を続けたことでパンデミックを拡大させた側面があると指摘されており、逆に比較的エンパシーに長けているとされる女性が首脳を務められている台湾やニュージーランドでかなりコロナ禍の影響を低く抑えられていることは暗示的な意味があったんじゃないかと指摘されています。
日本でも震災などの非常時にはエンパシー的な行動が見られて、その有効性はなんとなく理解しているワケですが、実は平時でもエンパシーに基づく行動は有効なんじゃないかということで、特に自由な立場でエンパシーに基づく行動をしようということで副題にある「アナ―キック・エンパシー」という概念を推奨されています。
この本で語られていることで、メインテーマと直接関係は無さそうですが印象的だったのが、サッチャーについてのことで、彼女はあまりにエンパシーに欠けていたことで死後も一部の英国人に忌み嫌われているらしいのですが、彼女のあまりに自助を強調した政策が「英国病」と言われる不況を長期化させたんじゃないかということが定説になっているのですが、菅元首相が「自助・共助・公助」を提唱されていたことにブレイディさんはサッチャー施政下と同種の危うさを感じられているようで、その証拠にブレーンだった『新・観光立国論』で知られるデービッド・アトキンソンさんはサッチャリズムの信奉者だったということで、菅政権がコロナ禍で生きながらえなかったことは不幸中の幸いだったかもしれません。
ということで、今後の日本人が復活して行く中で、こういうプレーンにいろんな側面でモノが見れるような柔軟な姿勢が求められると思われ、かなり重要な方向性を示唆されているように思われます。
個人的には、今まで読んだ本の中でもかなり上位に位置づけられる内容のモノですので、是非是非手に取ってみて下さい。