西田幾多郎/櫻井歓

 

 

 講談社現代新書の「今を生きる思想」シリーズに何気にハマっています。

 

 今まで『マルクス』『福沢諭吉』『宇沢弘文』と紹介しましたが、どの巻も120ページ前後というコンパクトなモノでありながら、割と難解でとっつきにくいことの多い「思想」を端的に紹介されていて、全くの門外漢でもちょっと手がかりをつかんだような気になれます。

 

 で、今回は日本を代表する哲学者の西田幾多郎ですが、そこまで詳細の理論に立ち入るワケではなく、事蹟をざっくりと紹介されているので、なんとなくこういうことを研究されていたのか!?という外形的な理解に至ることはできそうです。

 

 西田幾多郎と言えば『善の研究』が代表作として知られますが、割と初期の作品だったということで、元々は『純粋経験と実在』というタイトルにしようとされていたようですが、キャッチーなタイトルを求めた出版社がタイトルを決めて、それが故に哲学の門外漢にも読み継がれるモノとなったようです。

 

 ただ、元々のタイトルの方が書かれている内容についてはうかがい知りやすいところがあり、知識や経験といった夾雑物抜きに目の前の出来事をそのままに近くするということが「純粋経験」だということで、そういうモノの積み重ねが「自己」という「実在」を明確にしていくということのようです。

 

 後年では「絶対矛盾的自己同一」や「弁証法的世界」という、哲学にはからっきしなワタクシでも知っているコトバがちりばめられますが、自己の行動を駆り立てる何かについて語られているところでは、そういう動機の分析をするのってどういう意味があるだろう、とは思わないでもないのですが、そういう思索の積み重ねがあるからこそその意義を受け継いでいけるのかもしれない…という想いもあって、ちょっと哲学の意義をうかがい知れるような気になれました。(笑)