靖国神社/島田裕巳

 

 

 最近、著者ループモードに入りつつある宗教学者島田裕巳さんが靖国神社について語られた本があると知って、手に取ってみました。

 

 島田さんによると、靖国神社について書かれた本は山のようにあるけれども、そのほとんどすべてが支持・反対どちらかの立場に立って書かれたモノで、そういう立場の違いを超えてプレーンに公平な立場で書かれたモノはほとんどないということだそうで、この本では賛否を超えた公平な立場で書かれることを意識されたということです。

 

 元々靖国神社は、その前身が東京招魂社という、幕末に倒幕に向けての戦いの中で散った志士たちの慰霊の施設を集約するというカタチでもうけられ、当初は神社ではなかったのですが、西南戦争終結を受けて、内乱が終息したことを契機に一連の戊辰戦争での官軍側の犠牲者も併せて祭るということで、靖国神社として改組したということです。

 

 ただ、その際も反乱側であった薩摩藩の犠牲者は祭られることはなく、当初は一時朝敵であった長州藩の犠牲者も同じく祭られなかったものが、のちに政府の有力者の圧力で祀るようになったなど、当初からかなり政権の意向を色濃く反映した神社だったということが大きな特徴だということです。

 

 また、靖国神社は段々と祀る対象が増える「合祀」という考え方が特色で、靖国神社の他に、同様の考え方をとるのは、支社的な位置づけの護国神社のみということで、その「合祀」が軍国主義的な色彩を強めていく中で紛糾を招くことになったようです。

 

 対米戦の敗戦を受けて、一時は廃止の意向だったGHQが翻意して、民間の一宗教法人として存続し、戦死者を合祀を継続していくことになったのですが、A級戦犯の合祀を機に異論がさしはさまれ始め、首相の公式参拝の諸外国からの避難や、昭和天皇から現在に至るまでの事実上の親拝拒否などの問題が未だに継続しています。

 

 ただ、一民間主教法人となった靖国神社A級戦犯分祀を迫るというのは、それこそ国家の宗教への干渉となって不可能なことであり、今後もモヤモヤしたモノを抱え続けざるを得ないようで、戦没者には気の毒なところです…