世界でいちばんやさしい教養の教科書[人文・社会の教養]/児玉克順

 

 

 以前、「知の巨人」立花隆さんが「知の怪人」佐藤優さんとの対談本『ぼくらの頭脳の鍛え方』の中で立花さんが教えている学生が「どんな本を読んだら教養が身に付くのですか?」という質問を受けて、立花さんが戸惑ったという話を思い出したのですが、確かにこれだけ知ってれば十分な教養!みたいなモノはないとは思うのですが、この本で紹介しているように、教養が身につきやすくなる思考法みたいなモノはありえるようです。

 

 この本では人文科学、社会科学のいくつかの分野から、この本が提唱する「教養が付く思考法」に基づいて紹介しており、そういった考え方を通してその学問を見ることで、その説明から抜け落ちている部分についても、なんとなくこういうことなんだろうなぁ、という想像がつくような気がします。

 

 多くの分野で、主流となる学説の編年的な履歴を紹介されているのですが、多くの分野において、当時主流の学説に対して、その内容で説明できないことへの反論を元とする学説が唱えられることを繰り返し、次第に体系が出来上がってくる過程が見られますが、そういう学説の「振れ」幅みたいなものを理解することが、その分野の学問で言わんとすることを理解できるような気がします。

 

 応用編みたいなカタチで、「日本」論を語られているのですが、西欧が「個人」をアイデンティティの拠り所としているのに対し、日本では江戸時代まで「身分」や「職業」がアイデンティティの拠り所だったといわれており、明治時代になって西欧的な「個人」にアイデンティティを求める向きはあったモノの根付かず、国全体として軍国主義的な方向に向かった挙句破綻し、戦後復興のために「社員」としてのアイデンティティを求めて一旦成功したモノの、その後、バブル崩壊などを機にそのアイデンティティを失い、その後は新たなアイデンティティを見失って迷走しているのが、「失われたx0年」なんじゃないか!?という考えには、ちょっとナットクな気がして、そういう考え方が「教養」の一端なのかもしれないと感じました。