親の期待に応えなくていい/鴻上尚史

 

 

 ここ数年「親ガチャ」というコトバが取りざたされるようになり、極端な貧困家庭に生まれたり、「毒親」の下に生まれたことを嘆く風潮が強くなっているような気がしますが、貧困はともかく、必ずしも親の意図に沿って生きる必要はないんだよ、ということを説かれた本です。

 

 この本の著者である本職は演劇の演出や劇作家をされている鴻上尚史さんは、『同調圧力』など同調圧力に関する著書を多く手掛けられていますが、「親の期待」というのはある意味、最強の「同調圧力」だとされているのですが、そもそも子どもや親の「所有物」なワケでもなく、子どもには自分自身の人生があるのだから、親の意図に沿った人生を歩む必要はないということを再三強調されています。

 

 ただ、それでもやはり親の意向に逆らうということに、一定の呵責を覚える子どもは少なくないでしょうし、意図的かどうかは別としてそこに付け込む親もまた、少なからずいるということで、後々、こんなはずじゃなかった…と後悔する子どもが未だ少なくないことを指摘されています。

 

 そもそも鴻上さんは「子育て」の目的について、親から「健康的に自立すること」だとおっしゃっておられて、生まれたときは完全に親に依存している状態から、次第に自分でできることが増えて、最終的には親が亡くなるまでには完全に自立するということだと思うのですが、母親を中心になかなか子ども離れができない親が、子どもをいつまでも「子ども」扱いして、自分の意図を押し付けようとすることが多いようなのですが、得てしてそういう親の子どもは他人との関係性を築くのが上手くない場合が多い様で、極端に近い関係か、敵対関係しかできないようなこともあるようです。

 

 古くは結婚対象と考えた相手を否定されたり、就職先を否定されたりといったこともあったようですが、結局最終的に子どもの人生を最後まで責任もって面倒を見れるというのは非現実的であるからには、どこかで自立を促さないといけないワケで、本来は親から子どもを突き放す場面があるべきなんでしょうけど、親がそうなってくれないときにはどこかで子どもが親を突き放す必要がでてくるというのとなのでしょう…

 

 また、そういう親子関係が多いことを反映してか、日本では誰とでも仲良くすることを求められることが多いですが、オトナの自身の経験から考えてもそんなことを不可能なワケで、どこか気に入らない相手でも、何かどこかで折り合いをつけて決定的な決裂に至らないようにするという人間関係を形成することも、ある意味自立の一つのカタチとも言え、そういうオトナの関係を持てる子どもを育てるためにも、親として早めに自立を促すような姿勢を取りたいモノです…