教育学の研究者の方が語られる「宿題」の弊害についての本です。
子どもの頃は、当然宿題を鬱陶しく感じていたワケですが、実は生徒だけじゃなく、生徒の親だったり、出す方の先生にも相当負担がかかる状況を指摘されていて、じゃあ、宿題を出すことの意義って何なんだ!?というと、それ程、成績の向上につながるワケでもないという研究結果もあるということで、じゃあ、宿題なんて意味がないんじゃないか内心思う人も少なからずいるんでしょうけど、しない/出さないことによる弊害を考えるとせざる/出さざるを得ないという惰性の産物となっている現状を紹介されています。
特に昨今、両親が共働きだったりシングルマザーの家庭が多くなったりと、親の宿題のサポートができず、それでも宿題をこなさざるを得なくて、家庭内がギスギスしたり、子どもの側も塾に行かなくてはいかなかったりすると、ホントに子どもらしい遊びをする時間も無くなって、そうなると情操教育常道なんだ!?という側面もあるようです。
先生の側も、ただでさえ忙しいのに宿題を出したら、そのフォローをしなくてはいけないですし、いちいちしてこない生徒を叱らなくては行けなくてクラスの空気が悪くなったりとホントにいいことなんて何一つないように思えます。
昨今、麹町中学校の校長だった工藤先生が『学校の「当たり前」をやめた』などの著書で宿題を出すのをやめたということを紹介されていますが、実はその方が生徒の自主性を養うのに貢献していたりして、今後、「生きる力」を養う上では実は宿題は阻害要因になってしまうのではないか、とすら思えます。
教育学の専門家からこういう意見が出てくるのは意外だったのですが、こういう風に子どもの成長のために何がいいのかということについて、慣例にとらわれずに問題提起するというのはかなり意義深いことなのではないかと思います。