古事記は日本を強くする/中西輝政、高森明勅

 

 

 以前『日本人として知っておきたい外交の授業』を紹介した国際政治学者の中西さんに、『古事記』や『日本書紀』などの解釈を専門とする方との共著で『古事記』に関する著書があると知って、興味をそそられて手に取ってみました。

 

 外交の世界ではある国の在り方を調査する際に、その国の神話の分析をするということで、幕末に日本に駐在して悪名を馳せたイギリスの外交官パークスも日本国民の行動パターンを知るために『古事記』や『日本書紀』などの神話を翻訳させたようですし、アメリカも太平洋戦争前に日本神話の分析をしたということで、戦後の統治において、神話の教育を禁じたのも神話の重要性を痛感していたからだと思われます。

 

 そういうことで戦後の日本人は日本神話の教育をうけなかったこともあって、あまりその重要性を認識しないままとなってしまっているワケですが、そういうことが昨今一種のアイデンティティ・クライシスのような状況を呈しており、日本人が本来の姿を取り戻すためにも日本神話について深く知る必要があると指摘されています。

 

 日本神話というのは、他国の神話と比べても、女性である天照大神が太陽神となっているなどかなり特異なところが多いものだということと、さらに存続している王家とのつながりがあるということで、深い部分で日本人の存在に息づいており、自然との親和性や畏怖といった姿勢を反映したものだと指摘されています。

 

 国際経験の豊富な中西さんは、こういう奥底の精神みたいなものを振り返ることの重要性を国際部隊の中で痛感されているということで、とくにグローバリズムの中で自分の軸を取り戻すという意味でも、もっとこういう教育が見なおされるべきなのかも知れません。

対決!日本史2 幕末から維新篇/安部龍太郎、佐藤優

 

 

 昨日に引き続き”知の怪人”佐藤優さんの日本史対談本ですが、コチラ昨日の『戦国から鎖国篇』の続編ではあるようなのですが、カバーする範囲は少し時代が開いて幕末からになるということです。

 

 昨日の『戦国から鎖国篇』で、織豊時代重商主義から徳川体制になって農本主義に移行し、そのおかげもあって260年もの平和な時代となったことに触れられていましたが、その平和を享受している間にヨーロッパ諸国の醸成が大きく変わり帝国主義的な風潮が広がり、アジア諸国が蹂躙されかねないような状況となり、日本も惰眠を貪っていられる状況ではなくなり、再び重商主義的な風潮への揺り戻しを強いられたというのが大きな歴史のうねりの中での幕末から維新だったということです。

 

 そんな中での主要人物たちの動静に触れられているのですが、磯田センセイが大河ドラマ西郷どん』の歴史考証で取り入れられていたように、徳川慶喜の国際感覚の鋭敏さについてこの本でも賞賛されておられて、慶喜勝海舟の才覚で英仏を巻き込んでの内戦を回避したことこそが、今の日本の発展の原点とも言えると賞賛されています。

 

 それに対して、西郷隆盛を始めとする征韓論を唱えたメンツは、朝鮮の背後の清やロシアの影響力を軽視し過ぎていたということで、その国際感覚の欠如を指摘されているのが興味深いところです。

 

 また、明治維新のタイミングも絶妙だったということで、近代化が少しでも遅れていればフィリピンのように欧米のどこかの国に蹂躙されていた可能性は低くないということです。

 

 ということで、この本を読むと幕末から維新期における流れがかなり立体的かつ構造的に理解しやすくなるということで、さすがは”知の怪人”佐藤優さんならではというところです。

 

 ただ、佐藤さんの対談本にしては珍しく、分野がある程度佐藤さんの専門から離れているせいもあるんでしょうけど、かなり対等のやり取りが緊張感を生んでいるのもこの本の魅力かも知れません。

 

 元々この本は幕末から日清・日露戦争あたりまでをカバーしようとしていたようですが、編集者が冊数を増やしたいからそうしたのかはゲスの勘繰りとして、今後もこのシリーズが何冊か続くようですので、それはそれで楽しみだったりします(笑)

対決!日本史 戦国から鎖国篇/安部龍太郎、佐藤優

 

 

 ”知の怪人”佐藤優さんが、歴史小説家の安部龍太郎さんと日本史について語られるというので手に取ってみました。

 

 佐藤さんはかねてから、日本史を世界史と切り離して教育することについての弊害を語られているのですが、この本では大きな歴史の流れを把握する上での弊害を具体的に語られています。

 

 この本がカバーしている範囲は概ね鉄砲伝来から鎖国までなのですが、その辺りの歴史に流れは、世界史の潮流の中で考えないと、それぞれの事件の歴史的な意義をキチンと認識しにくいのではないかということを指摘されています。

 

 特に鉄砲伝来については教科書に出てくる感じだとかなりの唐突感があって、偶然漂流した船に鉄砲が積んであったという印象を受けかねないのですが、お二方によるとあくまでも大航海時代の一環として、日本国内の応仁の乱後の戦乱が広がる中で鉄砲を積極的に輸出し、あわよくば植民地としての支配も視野に入れた上での渡航だったと考えるべきだとおっしゃっていて、その後豊臣政権下のキリシタン大名に取り入っての事実上の教会領を形成するところを見ると明らかだと指摘されます。

 

 鉄砲伝来以降、戦国時代の戦乱の中で鉄砲及び弾薬の調達のために、織田政権・豊臣政権下では盛んに貿易が行われて大航海時代重商主義的な傾向が強くなっていたのに対し、徳川政権下ではその反動もあって、農本主義的な体制となるワケですが、重商主義的な体制の中で格差が拡大していたのに対し、農本主義的な体制下では、その格差が是正されていくということで、その状況というのは過度のグローバリズムに疲弊していた日本がコロナ禍を契機として、内向きの思考になるんじゃないかということを示唆されているのが興味深い所ではあります。

 

 そういうかなりマクロな視点での歴史のミカタというのは、多くの人にとってあまりなじみがないかも知れませんが、そうすることで見えてくることも多そうだということで、明治維新を取り上げるという続編も手に取ってみたいと思います。

 

 

ジョブ型雇用社会とは何か/濱口桂一郎

 

 

 元々、旧労働省で労働政策に携わられていて、労働法の研究者を経て、現在労働政策研究・研修機構労働政策研究所長を務められている方が語られる、日本企業におけるジョブ型雇用適用について語られた本です。

 

 安倍政権時に非正規雇用の問題がクローズアップされた際に、同一労働同一賃金の制度化が議論されたことや、トヨタや日立といった日本を代表する企業のトップが相次いで終身雇用の維持に否定的な発言をしたことから、欧米的な雇用形態への移行の空気が醸成されて行っているようです。

 

 ただ日本ではジョブ型への移行が新しい動きと捉えられていますが、そもそも現在の日本の雇用形態である、人をベースとした雇用…濱口さんは「メンバーシップ型」と命名されていますが…自体が戦後から一般的になったモノだということで、歴史的に見ても、世界的に見てもかなり特異な雇用形態だったということで、スタンダードなカタチへの回帰と捉えられるようです。

 

 そもそも労働法自体も戦前に制定されたモノなので、現在多くの日本の大企業が適用しているメンバーシップ型の雇用実態に即した解釈で適用されているということで、条文だけ見ても、規制の実態がつかめないという特異な状況になっているそうです。

 

 それでも日本の高度経済成長を支えた仕組みということで、今や制度疲労感ハンパないとはいうモノの、ほとんどの日本の大企業はメンバーシップ型にドップリ浸かってしまっていて、ジョブ型への移行のハードルはハンパなく高いようです。

 

 ジョブ型への移行の動きが具体化し始めた頃に経団連の会長を務められていた中西氏の出身元だった日立製作所がいち早くジョブ型の導入を宣言されたことを高く評価されているようですが、実際のメンバーシップ型に基づく雇用管理は採用をするところから定年退職~雇用延長に至るまで、かなり雁字搦めの制度となっているようで、文字通りのジョブ型を適用しようと思ったら、人事管理の制度を根底から見直さなくてはいけない状況にあるということで、漏れ聞こえてくる「ジョブ型」での制度設計は、言ってみれば”骨抜き”みたいなモノになってしまいそうであることを危惧されているようです。

 

 個人的にはあと10数年逃げきれれば…という感じですが、おそらくあと10年したらそういうカタチになっているんでしょうねぇ…

 

幕末・明治 偉人たちの「定年後」/河合敦

 

 

 先日、徳川幕府の殿様たちのその後を追った『殿様は「明治」をどう生きたのか』を紹介しましたが、コチラも同じような趣旨の本ですが今回は殿様に限らず、幕末~明治に活躍された方々の晩年を紹介した本です。

 

 取り上げられているのが、勝海舟榎本武揚といった旧幕府側の人々が最初に出てくるのは佐幕よりらしい河合センセイならではですが、さすがに今回は明治期に活躍された方々という主旨なので、長州の山県有朋や土佐の板垣退助なども取り上げられており、今年の大河ドラマの主役であった渋沢栄一も紹介されています。

 

 オドロキなのが、『殿様は「明治」をどう生きたのか』で紹介されていた、脱藩してまで旧幕府軍に加わって戦った請西藩主・林忠崇を再び取り上げているところで、河合センセイは余程この方の生きざまに入れ込んでいるんだなぁ…と感心させられます。

 

 「定年後」となってはいますが、モチロンここに取り上げられていた方々に「定年」がないだけではなく、多くの人々がかなり老齢になるまで活躍されていたということで、やはり偉人と言われる方々のバイタリティはハンパないんだなぁ…と感心させられます。

 

 中には隠居されていた方々もいらっしゃって、1章を設けて島津久光などが取り上げられているのですが、それでも58歳迄公職に疲れていたということで、純粋に早くから楽隠居というワケではないようなので、やはりハリをもって生きていこうとするには、自分なりに何らかのミッションを持っておくべきなんでしょうね…

禁断の江戸史/河合敦

 

 

 河合センセイの「教科書に載らない」シリーズの一環で、江戸時代にフォーカスした内容になっています。

 

 江戸時代というのは、明治政府が徳川幕府の施政を否定するような刷り込みをしたモノが”正史”として歴史教育がなされたこともあって、かなり捻じ曲げられた側面があり、我々が学校で学んだ江戸時代の歴史は多少実像と離れた部分もあったようで、歴史家としてはかなり興味深いジャンルみたいです。

 

 ただ、この本ではそういう解釈がどうというよりも、元から歴史の教科書では取り上げにくい江戸時代の市民生活やサイドストーリー的なモノが多く取り上げられています。

 

 特に面白かったのが、江戸の市民生活に関する内容で、実は外食は江戸時代から始まったようで、寿司屋や蕎麦屋や居酒屋が外食として成り立っていく様子を紹介されています。

 

 また、江戸時代に日本で初めての帝王切開の手術について紹介されており、それなりに外科手術の技術が進化していたのには驚きます。

 

 今の歴史教育の考え方だと、こういう内容をカリキュラムに加えるのは難しいようには思いますが、歴史のダイナミズムを知る上で、そこに生きていた市井の人々の普段の生活の様子を知るのは、より深く歴史を理解することにつながるような気がするので、こういう部分を取り入れられないかなぁ…とは思いますが、無いものねだりですかね!?

 

 

行動経済学の使い方/大竹文雄

 

 

 ここ数年「行動経済学」というコトバを耳にするようになったという方が少なからずいらっしゃると思うのですが、この本はその「行動経済学」の基本的なコンセプトとその具体的な活用の現状について紹介されている本です。

 

 元々経済学というのは議論を単純化する上で「合理的経済人」モデルという、すべての情報を持ち合わせた上で常に”合理的”な判断をするという”ありえない”仮定の下に理論を展開していて、ミクロ経済学をカジラれた方は思い当たるフシがあると思うのですが、そういう人間ありえへんやろ!?とツッコミたくなることが多いワケです。

 

 以前行動経済学の草分けともいえるダン・アリエリー博士の『予想通りに不合理』を紹介しましたが、人間というのは得てして”不合理”な選択をしてしまうワケで、そういう自然な人間の選択の性癖を前提にモノを考えた方がいいんじゃないか!?という考えの下に展開される経済学です。

 

 そういう行動経済学の重要なコンセプトが”ナッジ”といって、人間の選択行動を促すキッカケみたいなもので、悪用される危険もあるのですが、”合理的”な判断を促すようにもできるということで、計画的に”ナッジ”を設計される事例を多々紹介されています。

 

 よく知られているのが、休暇の申請の書類で、休暇を申請させるのをデフォルトにするのではなく休暇を取らないことを申請させるようにすることで有給休暇の取得率が格段に向上したという事例が紹介されていて、そういう”ナッジ”をウマく埋め込むことによって、対象者が意図した行動をとってくれるようにすることで、物事をスムーズに進めることが可能となるようです。

 

 まあ、ちょっと怖い部分はあるのですが、仕事を進める上でこういう”仕組み”を知っていると有利にコトを進められるようになるのかも知れませんよ!?